パラドックス ー 好きな時計を身につけた時
”MIJもいいじゃない”
”お薦め一品” 
”貴方はアポロ派、それともファ−スト派?” 
”ユリスナルダン,GMT” 
”ワインディングボックスって、どうなの?”
As time goes by. 〜あなたと過ごした時間〜 (カフェテリア・カビノチェMINIさんより)
作品集
可憐な時計
時計ジャーナリストの休日
ミッキーマウスレベルソ
「一生モノ」の時計
ナースの愛用品
実用時計あれこれ
褐色時計の撮影とカメラ
時計は語る
角型時計の美学
一枚の写真
パラドックス ー 好きな時計を身につけた時
時計が似合う
時計のある風景 ー ティソ(Tissot)編
「時計の唄」(カフェテリア・カビノチェ、GP7000さんより)
ストップウォッチの思い出
角型時計を探して
パテック・フィリップについて
ロレックス・デイトナについて
   
   
   







 


人の姿をひとつの風景として想像してみましょう。
道ゆく人々、会社の同僚、仲の良い友人、恋人・・・。

私たちは毎日いろいろな人に会います。
仕事ではじめて会う人と話をするときもあれば、親しい人々と話をすることもあります。
話をしながら私たちはその相手を見ています。
人は話しをする以外にたくさんの情報を発しているものです。
洋服には着ている人の好みがあらわれていますし、乗っている車にも好みがあらわれています。
私たちは意識するしないにかかわらず自分の好みを色濃く浮かびあがらせて生活し、また他の人の好みを感じ取っているのです。

ところで、話しをしている時、相手の人が付けている時計が目に入ってくる時がありますね。
時計愛好家なら、チラッと見ただけでその時計のブランドやモデルを当ててしまいますが、それほど詳しくわからない人でも無意識のうちに話している相手と時計の印象が心に残っているものです。

家族の人がどんな時計をつけているかはもちろんご存知ですよね。
時計に興味のない人でも、親しい人がどんな時計を付けているかはすぐに思い出せるものです。
このように、人の印象はいつも時計と共にあります。
時計と彼らの人柄や性格といったものが共に存在することによって、ひとつの風景が形成されているのです。
長年働き続けたお父さんにはメタルバンドの厚みのあるクォーツがよく似合います。
おばあさんが、小さな自動巻き時計を大切そうに使っているのを見るのもいいものです。
彼らは時計と共にあり、それゆえに時計は彼らの印象の一部と化しているのです。

さて、そんな中で、人の印象に実にしっくりきて似合っている時計があります。
また、ぜんぜん似合っていない時計もあるものです。
不思議なことに、買ったばかりの時計は、使用者も新品と意識しているからか、妙に浮いてしまうものです。
その人の印象に自然に溶け込んでこないのです。
それが1ヶ月たち、半年たち、1年たつうちに、時計はだんだんしっくりとくる風景の一部と化してゆくのです。

少し主観的な意見を言わせていただくと「使用者が強く意識しているモノ」は、何故か彼自身が描き出している風景に溶け込むことができ難いように思います。
どうしてもそのモノが浮いてしまう、つまり似合ってない状態になるような気がします。
これは、時計において顕著に現れます。
「時計に興味のある人がお気に入りの時計を身につけた時、その人の印象から時計が浮かび上がってしまう」と言えば、注意深く時計を意識している人には同意してもらえると思います。

時計に興味のある人は、その時計のブランドは何かということを一番に問います。
時計の価値づけを行う時に、ブランドは重要なファクターになるのです。
試しに「新しい時計買ったよ」と時計愛好家に言ってみましょう。
必ず「何買ったの?どんなブランド?」と聞き返してくることでしょう。
同じ事をあまり時計に関心のない人に言ってみると、
「へえ、どんな感じの時計?」と聞かれるはずです。

興味のある人とない人では、目の付け所がこのように大きく違うのです。

以上の考察から逆説的な結論を述べますが、時計に興味のない人はその人によく似合う時計を直感的に選びます

時計に対する興味の度合いとそれが似合う度合いというのは反比例する傾向があると思います。
時計に興味のない人は、時計を「時間を知るための道具」としてだけ使っているので、選ぶ時に自分の無意識の好みが色濃く現れています。
ある人は、パッと見たデザインで選んでいるし、汗かきの人は実用的なメタルバンドのものを選んでいるかもしれません。
また、スポーツをする人なら丈夫なゴムバンドのデジタル時計やダイバーウォッチを使うでしょう。
あるいは、誰かからもらった革バンド付きの時計が家にあったから、何となく使っているかもしれません。
このように、時計に興味の無い人は選ぶ際に心を惑わすような専門情報を持っていないだけに直感的になり、迷いません。
そして(これが重要なところですが)、そうやって選んだ時計をつけている時にその時計の存在を忘れてしまいます。
この捕らわれない精神状態が実に自然な風景を醸し出すのです。
それゆえに、時計がその人によく似合うのです。

しかし、愛好家が時計を選ぶ時には、対象物を深く見詰め、あらゆる観点から吟味します。
そして、彼ら独特の価値観に合致しているかどうかを確かめることを最優先し、それを自分がつけた時にどういう印象を与えるかについて考えるのは二の次にまわされがちです。
また、手に入れて腕につけている時でも、絶えず時計の存在は意識されており、その時計に精神の重点がおかれています。
このために愛好家の時計は浮かび上がってしまうことがあるのです。

時計はその人が与える風景の一部になります。
私たちは時計を好きだからこそ、こういう観点からも ”付けこなす” ということを考えたいものです。




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