時間について
道具の効果
トゥールビヨン3D
時計の達人
工業製品と芸術品(カフェテリア・カビノチェ、voyagerさんより)
時間について(カフェテリア・カビノチェ、やすひろさんより)
私の夢(カフェテリア・カビノチェ、周さんより)
   







 


カフェテリア ”カビノチェ”やすひろさんからのお話です。

相対性理論というのは全くやっかいな代物です。
アインシュタインが考え出した最初の論文内容(岩波文庫で出版されています)は比較的理解しやすく、使われている数学も簡単なものです。
しかし、この理論を使って、何かを計算してみようとなると、とてつもなく大変な計算になってしまうのです。

相対性理論というのはその名の通り、事象(物事)を違った視点で見たときに当然違って見えるものを相対的に結びつける理論なのです。

例えば、遥か遠くにあるお互い離れた二つの星が同時ににパッと明るく光ったとします。
このとき、それを見る人がどこにいてどちらに向かってどのくらいの速さで進んでいるかによって、その人が見るこの現象はそれぞれ違ってくるのです。
ある人には片方の星が光ったあとに、もう一方の星が光ったように見えたり、逆であったり。

これと同じく、ものの長さについてもその人がどういう状態(物理でいうところの座標系)にあるかによって、長さが違って見えるのです。この場合の長さはいわゆる物差しで測っては駄目です。
なぜなら、物差し自体が長さを変えてしまうからです。
あくまで、光がこれこれの時間に進む長さという形で定義します。

みなさんは神岡鉱山跡に大きな水槽を作って、宇宙からやってくるニュートリノと呼ばれる素粒子を観測していることをご存じでしょうか?
質量があるのかないのかという点で近年物理学の世界では話題になっています。

地球にはこれ以外にもいろいろな粒子が宇宙からとても速いスピードで降ってきます。
それらは地球の時間では非常に短い寿命(すぐ崩壊してしまうという意味)の粒子なのです。
しかし、それらが感じている時間は地球の時間に比べると非常にゆっくり進むので、物理屋さんは地球上で観測することができます。
これも相対性理論で記述できる簡単な例です。

粒子の寿命は物理ではそれが静止している座標系で定義します。
従って、地球に飛んでくる粒子と一緒に動いている座標系でこの粒子を見ていると、ちゃんと短い時間で崩壊しているように見えます。
だけど、この座標系の時間は地球からこの粒子を見ている人から見るととてもゆっくりと進んでいるので、あたかも長い時間生き長らえているように見えるのです。

実はこうやって書くと、何かだまされているように感じられる方が多いかと思います。
これは、人間はどうしても時間はどこでも同じように進んでいると思ってしまうからなのです。
普通に生活している限りではそれが当たり前なので仕方ないことですが。

もう一つ、現代物理のお話を。

相対性理論と並ぶ現代物理学の中心理論に量子論というものがあります。
この理論の中では光も光子と呼ばれる数えられる粒子になります。
この概念を用いると、人間が見ている映像は全てひとつひとつの光子の集まりになります。
従って、極端に言うと、ボールが飛んでいく映像を見ているつもりでも、ボールが止まっている画像を一コマずつアニメーションのように頭の中で合成して連続的な映像にしていることになるのです。

つまり、人間の視覚には連続的な変化を生み出す時間という概念は本来存在し得ないのです。
このことと、機械式時計の歯車が生み出すチクタクとした針の歩み、なにか関係があるのでしょうか?

相対性理論と並ぶものひとつの現代物理の柱、量子論における基本原理「不確定性原理」というものがありますが、これは「点と線」のアナロジーを使うと簡単に理解できます。

点が粒子の位置を表していて、線が粒子の軌跡を表現していると思ってください。
非常に小さい粒子を観測する場合、人間が得ることのできる粒子に関する情報は限られてしまいます。
ここでは、二つの極端なケースを考えてみてください。
一つは点一個分しか情報が得られない場合で、もう一つは線全体しか分からない場合です。
前者の場合、位置は正確に分かるけれど、どっちに動いているのか全く分かりませんね。
逆に、線全体が分かっても粒子が線上のどこにいるのか全く分かりません。

中間的な場合、つまり、いくつかの点が分かっている場合には、位置についても点の数だけ曖昧な上、どう進んでいるのかも正確には分かりません。あくまで、想像で点を結ぶしかないのです。

不確定性原理の意味するところは、点と線を同時に知ることはできないということなのです。

自然科学における「不確定性原理」、数学における「不完全性定理」、ウィトゲンシュタインの哲学にみえる基本思想。
これらすべて、人間の思考に深く関係しているようで、私が一番好きな話です。

以前、みなさんが人間の感じる時間にはそのときの状態によって、長くなったり短くなったりするというお話をされていましたが、現実の物理にも非日常的な状況ではありますが、そういう話が
存在するのです。時間って本当に不思議なものです。

書かせていただいた話は養老孟司「唯脳論」(最近、文庫で出たようです)にわかりやすく書かれています。
よろしかったらどうぞ。




| MENU |

Copyright(C) Digital Art Creators ,INC. Allrights Reserved