カフェテリア・カビノチェ
特選ディスカッション


安物時計を使い込む楽しみ

●上森氏の意見

みなさんは田端義夫という演歌歌手をご存知ですか?
バタヤンという愛称で知られる歌手なのですが、
このページをお読みになってらっしゃる方は、まずご存知ないのではないでしょうか?
でも、みなさまのご両親、あるいは、おじいさんおばあさんならきっとご存知のはずです。
そんなにそんなに年をとってる訳ではない(30代前半、独身)私ですが、
テレビのチャンネルを変えていて、たまたま「演歌の花道」などが出てきて、
そこにバタヤンが出演していたりすると、目が釘付けになります。
どれくらい釘付けになるかというと、
一曲唄いおわるまで、まばたきしないくらい釘付けになるのです。
あるいは、ビデオデッキの中に入っているビデオに、たとえ
「ゴッドファーザー」が録画されていたとしても、上書き録画してしまうほど
彼の唄う映像を残しておきたいと思うのです。

バタヤンファンの方に怒られるかもしれませんが、わたしが彼に注目した理由は、
彼がいつも使っているギターなのです。
彼は必ず独特な古ぼけたギター(エレキギター)を持って唄います。
弾き方は、ピックなどを使わないで指でアルペジオで鳴らしているようです。
そのギターは、かなり小型のギターで、構える時にはストラップでかなり上の位置
までもってきています。
色は深いレッドサンバーストで、黒いピックガードがついています。
バタヤンのこのギターはその筋では超有名で、テレビカメラも彼が唄う時、
顔を映すのと同じくらいの時間、そのギターを映します。

で、そのギターのどこがそんなにいいかというと、
とにかく「使い込まれている」のです。
傷が付きまくって、ボロボロになっているのです。
どうも、手作りのギターらしく、名のあるメーカーには該当するモデルはありません。
しかも、非常に安っぽい(すみません)印象を受けるのです。
ピックガードなんか後からかなり修理されている様子です。
今、ギターメーカーが同じようなモデルを作ったとしたら安く作れるに違いありません。

しかし、何十年も使い込まれたそのバタヤンのギターは、独特な存在感を醸し出しており、
バタヤンの存在そのものと言っても過言ではありません。
苦節何十年、彼はそのギターと共に苦楽を味わってきたに違いありません。
そのギターの印象と存在感が強すぎて、わたしなどは、
もし、あのギターが壊れたりしたら、バタヤンは営業できなくなってしまうのではなかろうか?
などと、心配になってくる程なのです。
バタヤンがあのギター以外のギターを使ってしまうと、もうバタヤンではなくなってしまうと
思うほど、強い個性を感じさせるギターなのです。

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突然話題を変えて恐縮ですが、
「機動戦士ガンダム」というアニメはみなさん、ご存知ですね。
あのアニメで、「赤い彗星 シャア」と呼ばれるヒーローが登場します。
たくさんの話があるアニメですが、特にストーリーの初めのところ、
パイロットが乗っているモビルスーツというロボットに、
「ザク」というモデルがありました。
そして、赤い彗星シャアは、特別に色を塗った赤いザクに乗っていました。
そのザクは、大して強くないロボットで最新型のガンダムにいつもやられていたのですが、
シャアが操縦すると、とたんに強くなり、ガンダムと対等に戦っていました。

で、わたしがこの話のどこに感心するかというと、
弱いやられメカでも、パイロットによって急に魅力的に思えてくるというところです。
「その他大勢」であったザクが、シャアという個性によって急に特別に見えてくるのです。

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バタヤンこと田端義夫の演奏するギター、
ガンダムの赤い彗星、
以上2つの話をしましたが、
この話からお伝えしたいことは、

「安物時計って素晴らしい」

ということです。

みんな知っている高級時計や高級ブランドに興味をもっていろいろ調べたり
購入したりするのも楽しいものです。
しかし、それはある意味で没個性的なところがあります。
それよりも、バタヤンやシャアのように、誰も振り向かないような何でもないモノに注目して、
それを自分の個性としてじっくりと使い込むと、
金銭では買えないよさが生まれてくることがあるものです。
それには時間もかかりますし、使用者の人格が問われることもあります。

タイメックスというデジタル時計がありますが、単体だけを見るとさほど興味を
感じられないものでも、
「クリントン大統領が愛用している」ということになれば買ってみたくなるかもしれません。
今ほどの人気がなかったG−ショックでも、
「キアヌリーブスが、スティングが愛用している」ということで急に希少品になりましたよね。
キムタクがつけていたロレックスだってそうです。

しかし、ポイントは、
「使用者や、その使い方が素晴らしいからその道具に魅力が出てきた」訳であって、
逆ではありません。
DW5600を付けたからといって、私はキアヌリーブスにはなれませんし、ドラマには
なりません。あるいは、
わたしの友達がキムタクモデルを買ったとしても、とくに感慨は湧き起こりません。

ドラマになるのは、
「今まで見向きもされなかったようなものが、効果的な使い方をされることによって
独自の魅力を創造したとき」
です。

そういう訳で、私は何でもない安物時計にドラマの可能性を感じ憧れるのです。

●GP7000氏の意見

憂歌団の木村氏も、確か、1万で譲ってもらったというアコースティック
ギターをステージで使っていました。バタヤンのは、今度、気をつけて見てみます。

私の友人が、ブライトリングつけてまして、よく狂うみたいです。でも、本人は
狂い加減を把握していて、正確な時間はわかっています。まさに使いこなし!彼をみてて、
うちのじぃさんを思い出しました。じぃさんは、空気銃の名手でしたが、じぃさんの
空気銃は、誰の手にも扱えなかった.....なぜなら、その空気銃は、銃身がわずかに曲がって
いたからです。じぃさん自身も他人の銃は使いませんでした。
使い込むと、その人と一身同体になるもんなんでしょう。切り離せない価値が派生
してくるんですね。

>「使用者や、その使い方が素晴らしいからその道具に魅力が出てきた」訳であって、

使用者によって、そのものが持つ本来の魅力が出てきたと、私は考えます。
誰がつけてても、魅力ないものはダメ。時計に関していえば、ブームとか、レアとか、
話には出てくるけれど、時計愛好家は、あまり気にしてないですよね。自分なりの価値観を
しっかり持っている方が多いから....。
 
精神科の外来で、日本では、自分がひとと違いそうな気がする、という訴えが多いのに
対して、アメリカでは、逆に、ひとと同じであるのが苦痛だ、という訴えが多いそうです。
どっちが正常か、という問題ではありませんが、ブームはひときわ影響が高い国ではあります。

また、上森さんがいう、安物時計を使い込む話とは、ちと論点がズレますが、

私は、地方や海外に行くと、どんな時計屋でも、入ってみます。
無銘の時計って限り無いんですよね。ときには素敵な出会いもあります。
ブランドでなくとも、情熱を持って時計を作っている方の意気込みは、必ずや
伝わります。素敵な出会いが、また、その時計の絶対的な価値を持たせてくれます。

いい時計は、確かに高い。目が超えるほどにわかる悲しさ...もありますが、
自分の足で赴いてみれば、素敵な娘がいたりもするんですよね、TVや雑誌で見たこと
もない素敵な娘が。

●crossroads氏の意見

時計の掲示板で、ばたやんや、ザクや、憂歌団まで出てくるのはここが初めて
です。つられて、私もいつも考えてること書いてみます。

BB・キングって黒人の爺さんのブルースの歌手?ギター奏者がいるんです。
みなさんも名前はどこかで見たことが有るんじゃないでしょうか?

一見金持ちででっぷりしてて、人の良さそうな笑顔で、悲しいことを楽しく
楽しいことはもっと楽しく歌う人です。
かれのギターはいつもぴかぴかの「ルシール」(名前)いつもライブのなかで、
ルシールありがとうと楽器にKISSするのです。その腕にはBBと入ったでっかい
金の指輪+宝石だらけの金無垢ロレックス。もう「ルシール」は道具ではなく、
共演者と同じ扱いを受けてるようです。

そんな派手な道具も全然「いやみ」がない。 使い込んであるのです。

いきなり変わりますが、電車のなかで、シートが空いてるのに座らないで、吊革
にもたれてた小さな爺さん。うでに金無垢のインター!ちょっと傷もちらほらで
疲れた黒バンド、かっこいい!。

物はなんでも結局「使い込む」ことで道具がその人にとけ込んでいくようです。
使い込んで付いた傷の数に比例して愛着が出てくるのは、みなさんも同じでは
ないでしょうか?。

良いものは値段も高いのですが、私の場合値段よりも「気に入った物」を
使い込むことがやっぱり楽しいです。

時計も何種類か使ってますが、困ったとき、つらい時に不思議と付けてる
時計ってありませんか?やっぱり原点だなっていう時計。私の場合なぜか
ルクルトの中3芯自動巻です。

●上森氏の意見

GP7000さん、

>さて、憂歌団の木村氏も、確か、1万で譲ってもらったというアコースティック
>ギターをステージで使っていました。

憂歌団、1万のギター使ってましたね。
その昔、ギターマガジンに載っていました。

>うちのじぃさんを思い出しました。
>じぃさんは、空気銃の名手でしたが、じぃさんの空気銃は、誰の手にも扱えなかった.....
>なぜなら、その空気銃は、銃身がわずかに曲がっていたからです。
>じぃさん自身も他人の銃は使いませんでした。
>使い込むと、その人と一身同体になるもんなんでしょう。
>切り離せない価値が派生してくるんですね。

いいお話ですね。
その空気銃は、そのおじいさんしか使ってはならないと感じさせるところによさがあります。

そのお話を時計に置き換えて考えてみませんか?

A おじいさんは → ※独特な空気銃を使用して → いい仕事をする → 素晴らしい
※注 (他人から見ると無価値な空気銃)

という図式によって、われわれの目指す雰囲気が生まれるとしましょう。
ちなみに、
Aの図式を構成している4つの要素(おじいさん、独特な空気銃、いい仕事、素晴らしい)
はどれも欠かすことができません。

空気銃を時計に置き換えると以下のようになります。

B 某は → ※独特な時計を使用して → いい仕事をする → 素晴らしい
※注 (他人から見ると無価値な時計)

つまり、
私たちが、「他人から見ると価値を感じられない時計」を使用することによって、
何か注目すべきことを行った場合、それは素晴らしいことであり、価値の創造になるのです。

ここに、議論のポイントがあるのです。

>時計に関していえば、ブームとか、レアとか、話には出てくるけれど、
>時計愛好家は、あまり気にしてないですよね。
>自分なりの価値観をしっかり持っている方が多いから....。

あるいは、さんざんブームを追いかけすぎて飽きてしまったという感覚もあるかもしれません。
 
>どっちが正常か、という問題ではありませんが、ブームはひときわ影響が高い国ではあります。
しかし最近思うのですが、
もはや、誰それがどういう時計を使っているとか、何とかという時計はレアだとかいう理由だけで、付和雷同して同じ時計を欲しがることもなくなってくるのではないでしょうか?

>いい時計は、確かに高い。

そうですね。
それと、「安い時計であっても魅力的に思うことのできる感性」を持ちたいものですね。

>自分の足で赴いてみれば、素敵な娘がいたりもするんですよね、TVや雑誌で見たこと
>もない素敵な娘が。

思いもよらない掘り出し物ですね。

●上森氏の意見

crossroadsさん、

>かれのギターはいつもぴかぴかの「ルシール」(名前)いつもライブのなかで、
>ルシールありがとうと楽器にKISSするのです。

ギブソンのセミアコースティックですね。
BB・キングの大のお気に入りで、飛行機で移動する時にもルシール用の座席
を確保するという。

そのお話を聞いて思い出したのですが、
ピアニストのグレン・グールドはピアノを弾くとき、必ず自分専用の椅子を使います。
その椅子は背もたれ付きの、ぐらぐらで、ボロボロのものです。
数々の歴史的名演奏の録音を行った彼は、いつもそのお気に入りのオンボロ椅子に
座ってピアノを弾いていたのです。

>物はなんでも結局「使い込む」ことで道具がその人にとけ込んでいくようです。
>使い込んで付いた傷の数に比例して愛着が出てくるのは、みなさんも同じでは
>ないでしょうか?

その通りだと思います。

ちょっとこんな事を考えました。人と道具との関係におけるひとつの矛盾です。
おつきあい下さい。

ここに、非常な車好きがいるとしましょう。
彼はポルシェが好きで好きで仕方がないとしましょう。
彼は全財産をポルシェにつぎ込んでも後悔しません。
また、大変ポルシェを大切にします。
ほんのちょっと、1ミリ程の傷がついても、自分の体を切られたように気にして、
夜も眠られません。
靴を履いたまま運転席に座ることなどありえないし、タバコを吸うなどとは論外です。
彼は1日中ポルシェのことを考え続けています。

この状態。
愛着といえば、愛着です。
愛用といえば、愛用だと思います。
いっそのこと「崇拝」と呼びたい気もします。
しかし、彼のこの激しい緊張感は10年持続できるでしょうか?
いえ、できないに違いありません。
彼はいつかこの崇拝に飽き、そのポルシェは単なる車として扱われるようになり、
彼は新しい崇拝物、たとえばフェラーリなどを見つけて、それに夢中になっている
に違いありません。

そういう訳で、限度を超えた愛着は、このように熱しやすく冷めやすいのです。

それにひきかえ、
その辺の、部屋の片隅にころがっているゴミ箱は、もう8年くらい使ってませんか?
あるいは、キッチンのフライパンはそろそろ買って10年くらいになるのでは?
冷蔵庫はどうでしょう?
マクラも何年も使っているような気がします。

そういう訳で、思い入れの少ないものほど長い間心変わりしないで愛用し続けることが
できると思うのです。
うーん、うまくいかないですね。

●GP7000氏の意見

crossroadsさん、

とうとうBBキングまで出ましたか!
リズム&ブルースの大御所ですね。
 
私のドラムの師匠が、アクセントとは、強打音だけじゃぁない。突然、耳を澄まして
聴かないとわからないような弱音がきても、インパクトあるアクセントになるんや。
その使い分けが、ダイナミックスや。と教えてくれたことあって、
ダイナミックス!なるほど、と思い当たったのがBBキングでした。

実は、ROLEXが似合う人って誰かなといろいろ考えてたところでした。ヒマですね...。
そう!BBキングがいましたね。彼ならダイヤが散りばめられててもキマりますね。

最近....でもないですが、GRPのスヌーピーのアニバーサル盤で、Joe Coolを演奏
してました。とても、おちゃめです。
  
本題から外れてごめんなさい。 

>困ったとき、つらい時に不思議と付けてる時計

私は、ウキウキするような日に決まってつける時計しか思い当たりません。
だから、とても、うらやましく思いました。
それも、使いこんでおられるからこそでしょう。

●SB氏の意見

上森さん、お久しぶりです。
最近私の得意分野(?)の情緒的な話題がないので、ずっと拝見す
るだけでした。

>そういう訳で、限度を超えた愛着は、このように熱しやすく冷めやす
>いのです。

愛することって、膨大なパワーが必要なんですね。ずっと脇目も振
らず愛して行けたら、それはそれでとても幸せですね。
しかし、普通はそうは行かない。愛することに疲れてしまい、身を引
いてしまうこともあるんですね。これはモノも人も同じかも知れませ
ん。

>それにひきかえ、
>その辺の、部屋の片隅にころがっているゴミ箱は、もう8年くらい使
>ってませんか?
>あるいは、キッチンのフライパンはそろそろ買って10年くらいになる
>のでは?
>冷蔵庫はどうでしょう?
>マクラも何年も使っているような気がします。

そうです。思い入れのないものほど、飽きずに「そこにある」んです。
もう自分の風景の一部になってしまっているため、なくてはならない
ものになってしまっているのかも知れません。
でも、ずっとそこにあるものだったとしても、家人が何の気なしに買い
換えてしまったとしても、素直に、その状態を受け入れられるのだと
思います。そういうものです。

>そういう訳で、思い入れの少ないものほど長い間心変わりしないで
>愛用し続けることが
>できると思うのです。

愛用し続けることによって、愛着がわいて来る場合もありますね。
上森さんがおっしゃった田端さんのギターの場合も、そうじゃないのか
と思うのです。もうご自分の体の一部になるほど愛用されているから、
愛着もわき、思いも強くなっているのではないでしょうか。

時計に関して言えば、私など、貧乏性なものですから、気に入った
時計はなるべく使わず、しまっておくのです(大してありませんが)。
愛用しているのは、頑丈なものばかり。
上森さんのご発言をヒントに、安い時計も高い時計もこれからどん
どん区別なく使えるようになりたいと思っています。もちろん、その
時計に適した状況で、ということが前提ですが。
高い時計の値段を忘れる楽しみ・・・もいいですね。

●上森氏の意見

SBさん、

>最近私の得意分野(?)の情緒的な話題がないので、ずっと拝見す
>るだけでした。

失礼いたしました。
時計の詩人、SBさんの情緒的お話しは、いつも楽しく読んでおります。
これからもよろしくお願いいたします。

>「マガジン」に過去の話題が整理されましたが、光栄なことに・・・・・

実にユニークな観点で時計をご覧になってらっしゃると思います。
SBさんに限らず、お書き込みくださるみなさんは、とても面白い文章
をお書きになるので、いっそのこと当ホームページの執筆もお願い
したいほどです。

>愛することって、膨大なパワーが必要なんですね。ずっと脇目も振
>らず愛して行けたら、それはそれでとても幸せですね。

そうですね。
電撃的な愛情というものは、えてして長続きしないことが多いですね。
でも人はその強烈な感情を求めるものなのですよね。

>そうです。思い入れのないものほど、飽きずに「そこにある」んです。
>もう自分の風景の一部になってしまっているため、なくてはならない
>ものになってしまっているのかも知れません。

肉親や長い間付き合っている友人との間にもそのような感情が生まれる
ことがありますね。
もしかしたら、これこそ本当の愛かもしれませんね。

わたしは、愛情と時間というものは、切っても切れない関係があるように
思うことがあります。

>でも、ずっとそこにあるものだったとしても、家人が何の気なしに買い
>換えてしまったとしても、素直に、その状態を受け入れられるのだと
>思います。そういうものです。

確かに、
そういうこともありましたね。
それは、社会生活にたとえるとどのような関係になるのでしょうかね。
業務上、利害関係のみのお付き合いの場合でしょうか?

>愛用し続けることによって、愛着がわいて来る場合もありますね。
>上森さんがおっしゃった田端さんのギターの場合も、そうじゃないのか
>と思うのです。もうご自分の体の一部になるほど愛用されているから、
>愛着もわき、思いも強くなっているのではないでしょうか。

時計愛好家が本当に求めているのはそういうことなのでしょうね。

>時計に関して言えば、私など、貧乏性なものですから、気に入った
>時計はなるべく使わず、しまっておくのです(大してありませんが)。
>愛用しているのは、頑丈なものばかり。

そのお気持ち、大変よくわかります。
わたしなどは、気に入ったものを見つけると、同じ物を二つ買ったりします。
で、一個は永久保存用、もう1個は日常生活用という具合に。
モノに捕らわれているでしょ?

>上森さんのご発言をヒントに、安い時計も高い時計もこれからどん
>どん区別なく使えるようになりたいと思っています。もちろん、その
>時計に適した状況で、ということが前提ですが。
>高い時計の値段を忘れる楽しみ・・・もいいですね。

一番目指したいところですね。
わたしはパテックに、マルマンの革バンドをつけて使っていたことが
あります。
腫れ物に触るような使い方をしたくなかったからです。
そして、バタヤンのギターのように枯れてほしかったからです。
でも、心の片隅に、「こんなに乱暴に使うと、天真も減るだろうな」とか、
「汗も入るだろうな」とか、「バネ棒の接合部が傷んでるだろうな」などと
思っていたことを告白いたします。

●HASEM氏の意見

またまた興味深いテ−マですね。

>そのお話を聞いて思い出したのですが、
>ピアニストのグレン・グールドはピアノを弾くとき、必ず自分専用の椅>子を使います。
>その椅子は背もたれ付きの、ぐらぐらで、ボロボロのものです。
>数々の歴史的名演奏の録音を行った彼は、いつもそのお気に入りの>オンボロ椅子に
>座ってピアノを弾いていたのです。

名演奏家といわれたグレン・グ−ルドの面白いエピソ−ドですね。
きっと彼にとってはこの椅子こそが演奏する時の欠かせない道具
だったのですね。

>そういう訳で、限度を超えた愛着は、このように熱しやすく冷めやす>いのです。

まさしくその通りですね。本人が意識しない愛着という事でしょうか?

このお話を読んでいて一つの事を思いだしました。
私は会社への出勤用に革の鞄を使っているのですが、
社会人になる時以来ずっと使っているのでかれこれ7年ほど
になります。以前に革バンドの時にお話しました様に基本的には
革製品の色合わせをするのが好きなのですが、鞄だけはいつも
この鞄を使ってしまいます。もちろん気に入って使っているのですが、
何となくこの鞄を持たないとしっくりこないのです。
まだ、10年にも満たないので自分の一部とまではいかないかも
しれませんが、もう何年かするとそうなるのでしょうか?

>そういう訳で、思い入れの少ないものほど長い間心変わりしないで愛>用し続けることが
>できると思うのです。
>うーん、うまくいかないですね。

なぜか時計はそうはいきませんね。不思議なものです。

●上森氏の意見

HASEMさん、

>名演奏家といわれたグレン・グ−ルドの面白いエピソ−ドですね。
>きっと彼にとってはこの椅子こそが演奏する時の欠かせない道具
>だったのですね。

そして正直なところ、
わたしはその椅子をとても欲しいと思ってしまうのです。
その椅子に座ったところで、グールドになれないことはよくよく分かっては
いるのですが。

>>そういう訳で、限度を超えた愛着は、このように熱しやすく冷めやすいのです。

>まさしくその通りですね。本人が意識しない愛着という事でしょうか?

意識しすぎて冷めてしまうのだと思います。
「大きな悲しみはいつか忘れるけど、小さな喜びはいつまでも記憶に残る」
という心を打つ言葉があります。

この言葉を少し変えて、
「衝撃的な愛情はいつか忘れるけど、ほのぼのした愛情はいつまでも残る」
というふうにも考えてみたことがあるのですが、
やはり、大仰な愛情表現は寿命が短いのではないでしょうか?

>革製品の色合わせをするのが好きなのですが、鞄だけはいつも
>この鞄を使ってしまいます。もちろん気に入って使っているのですが、
>何となくこの鞄を持たないとしっくりこないのです。
>まだ、10年にも満たないので自分の一部とまではいかないかも
>しれませんが、もう何年かするとそうなるのでしょうか?

鞄というものも、愛着を感じさせるものですね。
作家の吉行淳之介は大の鞄好きで何編かエッセイを書いています。

吉行淳之介といえば、「世界の腕時計bR4 特集バセロンコンスタンチン」の105ページ
に出ています。
この雑誌、もしお持ちでしたらぜひご覧になってみてください。
吉行氏の愛用していたオメガシーマスターの写真が載っています。
この時計も愛用されて実にいい雰囲気を醸し出しているもので、
みなさんにご覧いただきたいです。

鞄の話に戻りますが、革製品はなにか人を引きつけるものがありますよね。
わたしは、「使用していくうちに変化を起こしてくる」からではないかと思います。