カフェテリア・カビノチェ
特選ディスカッション


ストップウォッチについて

●上森氏の意見

ストップウォッチというのは、あらためて見てみると面白いですよ。

アンティークショップの人がこんなことをおっしゃってました。
「ストップウォッチは安くするよ。だって、時計と違って使い道がないから売れないんだよ。」
この話を聞いて、わたしは時計とストップウォッチの違いについて考えました。
GP7000さんもおっしゃっていましたが、時計は別になくても困りません。
生活のあちこちで時刻を知ることができますからね。

最近、私はこんな文章を書いたことがあります。
「時計は個人と社会をつなぐ接点です。自分一人で生活する上では
時計はさして必要なものではありません。しかし、ひとたび社会と接するとなると、
急に必要な道具になるのです。」

一方、ストップウォッチ(クロノグラフ)は全く逆の性質をもっています。つまり、

「ストップウォッチ(クロノグラフ)は、個人と社会を切り離す働きをします。
社会生活の基準となっている時刻とは全く別の切り離された時間を、
個人がもつことができるようになるのです。」

以上の観点からストップウォッチ(クロノグラフ)って、とても
個人的な意味合いをもつ器械だと思います。

ストップウォッチの使い道ってなんだろう?
仕事で生産効率を測る必要がある人や、タイムを気にするスポーツマン
なら別ですが、ごく一般的な生活を送る人にはあまり使い道を思い付くことができません。

実は、わたしは最近、趣味で英語の勉強をしているのですが、1日必ず90分は
取り組もうと決めました。
その時、ストップウォッチに対する面白い考え方を発見しました。
夜の10時20分から勉強を始めた場合、何時何分に終了すればよいか?
頭で計算しなくてはいけないので、ちょっと考えてしまいます。(よね?)しかし、
そもそも、勉強は個人的に行うものですから、世間の時間は何時であろうと
関係ないわけです。
勉強中に時計を見たら11時5分だったとしても、その時刻自体は自分には
どうでもよいことで、自分としては勉強の経過時間だけを知りたいのです。
つまり、勉強という大変個人的な活動を行う上で、世間の時間軸を基準に
しなければならないという理由はどこにもないのです。

当たり前の事を言うなと怒られるかもしれませんが、人はかように、
知らず知らずのうちに社会の基準に沿うように考えてしまっているのです。

そういう訳で、ある種の反抗的思考の回路を経て、わたしはストップウォッチ
を勉強の時間計測に使ってみることにしました。
90分という抽出された時間感覚が湧き起こってきました。
それは、新鮮な感覚であったと同時に、「社会の基準から独立している」という感覚を呼び起こし、
うれしい驚きでした。
「もう、今が何時だっていい!」とさえ思いました。
そして、そのストップウォッチが、辞書やノートやエンピツと同等に、
「勉強の道具」になったのです。
ストップウォッチはこのようにすぐ、「〜の道具」になることができます。
このあたりも大変面白いと思います。

かように、ストップウォッチ(クロノグラフ)は、個人的な時間を充実させてくれる
魅力ある時計なのです。

●GP7000氏の意見

ストップウオッチが医局においてあります。これは、学会発表の予行演習で、
発表時間を計るためにあります。(学会場には時間切れを示す赤ランプがあります。
ひどいところはブザーや鐘を鳴らします。)
いつも見慣れていたものなのに、あらためて見て、おもしろいなと感じました。

ところで、ストップウオッチやタイマーにはデジタル式のものもありますよね。
私は、どうもデジタル式には性が合いません。
予行演習にしても、アナログ式だと余裕を持って臨むことができるのですが、
デジタルだと焦りが先行してしまいます。カウントダウンなんて落ち着かなくて
ドキドキしてしまいます。

時計にしてもそうです。70年台にデジタル時計が高価なものとしてデビュー
した頃には憧れたりもしましたが、実際に着けていると、何か違う。
それは、現在時刻という、時間の中の点しか示せないからじゃないかと思います。
 
アナログだと、緩やかな時間の流れの中で、ゆっくり動いている針を見るわけです
から、一日の時間を意識した上で、現在を確かめられる余裕があります。

アナログのストップウオッチも、針の動きに合わせて、話すスピードや時間配分を
考えることができます。

実は、今日、予行演習だったのですが、こんな余裕をかましててもいいのでしょうか?
いや、動じないのもアナログのおかげです。

●上森氏の意見

>ストップウオッチが医局においてあります。これは、学会発表の予行演習で、
>発表時間を計るためにあります。(学会場には時間切れを示す赤ランプがあります。
>ひどいところはブザーや鐘を鳴らします。)
>いつも見慣れていたものなのに、あらためて見て、おもしろいなと感じました。

わたしは、そういう業務用品的なものに興味を覚えます。
いつもは何の興味もなく使われているものって、注意してみると面白いですよね。
何気なく乗った電車の製造年月日が昭和45年だったりすると、
「これだけの人を運んで、よくもまあ、ちゃんと動いてるなあ」などと感心したりします。

>ところで、ストップウオッチやタイマーにはデジタル式のものもありますよね。
>私は、どうもデジタル式には性が合いません。

そのお気持ちは時計愛好家として大変よくわかるような気がします。

で、よくわかった上で申し上げたいのですが、デジタルストップウォッチにも
捨て難いものがあったりします。
たとえば、
SEIKOのサウンドプロデューサーというストップウォッチは、1万円台で手に入る
プラスチック製のものですが、ケースが縦長で時間の足し算引き算をするための
テンキーがついています。
文字どおり音楽プロデューサー向けに作られたものらしいのですが、
その独特なデザイン、
握った感触といい、ボタンを押す時のフィーリングといい、専用機ならではの高度な
可能性を感じます。

>予行演習にしても、アナログ式だと余裕を持って臨むことができるのですが、
>デジタルだと焦りが先行してしまいます。カウントダウンなんて落ち着かなくて
>ドキドキしてしまいます。

そうですね。
確かにデジタルでタイマー機能を使った場合、アナログに比べて早く時間がたつ
ような錯覚に陥りますね。

>時計にしてもそうです。70年台にデジタル時計が高価なものとしてデビュー
>した頃には憧れたりもしましたが、実際に着けていると、何か違う。
>それは、現在時刻という、時間の中の点しか示せないからじゃないかと思います。

小窓から世界を覗いているような感覚ですね。
あるいは、木を見て森を見ず、というような感覚ですね。
 
>アナログだと、緩やかな時間の流れの中で、ゆっくり動いている針を見るわけです
>から、一日の時間を意識した上で、現在を確かめられる余裕があります。
>アナログのストップウオッチも、針の動きに合わせて、話すスピードや時間配分を
>考えることができます。

よく言われる話ですが、アナログ時計の表示の起源は日時計にあるそうですね。
日の出と日没、太陽の位置を知ることは、人類の歴史での最初の計時方法であった
ことでしょう。
アナログ時計はまさにその太陽の動きを連想させるものですから、直感的に時刻を知る
のにもっともよい表示なのかもしれませんね。

>実は、今日、予行演習だったのですが、こんな余裕をかましててもいいのでしょうか?
>いや、動じないのもアナログのおかげです。

お忙しいようですね。お書き込みいただいてありがとうございました。
演習のご成功をお祈りします。

●Masa氏の意見

確かにストップウォッチは店舗では恐ろしく安い値段(5万で収まる位)で
出ていますね。

オークションも同じで、ホイヤー/ブライトリング/ミネルバ等の
ストップウォッチは高くても$150位(大抵は$100程度)で取引き
されている様です。海外との為替等のやりとりは結構面倒臭いので
私なんぞはついつい無視してしまいがちです。

●上森氏の意見

>確かにストップウォッチは店舗では恐ろしく安い値段(5万で収まる位)で
>出ていますね。

腕時計は明らかに、「これは不当に高い」と思うことがありますが、
ストップウォッチはその点、大変手に入れやすいですね。
分解してみると面白いです。
ストップウォッチはスタートボタンを押した瞬間からテンプが勢い良く
動いていなくてはならないので、スタートボタンと同時にテンプの側に
あるレバーがテンプを蹴って勢いをつけます。
この辺が普通の時計と違うところです。

いろいろな構造がありますが、特にミネルバのストップウォッチは
コイルバネを使っていてユニークです。
スプリットセコンド(割剣)や100振動のモデルなどは凄いと思うと同時に、
その手に入れやすい価格に驚きます。
腕時計だとこうはいかないでしょうね。

>オークションも同じで、ホイヤー/ブライトリング/ミネルバ等の
>ストップウォッチは高くても$150位(大抵は$100程度)で取引き
>されている様です。海外との為替等のやりとりは結構面倒臭いので
>私なんぞはついつい無視してしまいがちです。

大抵は$100程度!
需要がないからその値段なのですね。
高くならないことを祈ります。
国内では国産のストップウォッチが安いですね。
わたしは見つけたらすかさず買います。

●上森氏の意見

ストップウォッチのこんな使い方

最近、「絶対音感」という面白い本が出版され、そこには絶対音感を持っている人の様子、
持てない音楽家の哀しみなどを描いていました。
絶対音感は幼少期から訓練を受けないとなかなか身につかないそうです。
わたしはその本を読んでこう思いました。
「絶対時感」ってあるのだろうか?
絶対時感、つまり、時計を持っていなくても今何時かがわかったり、
心の中で正確に3分を刻むことができたり・・・・。
こんな感覚って潜在能力としてあるような気がしませんか?
わたしはこのことについて興味を持って、いろいろと試してみました。

金がすべての世の中、などと言われることがありますが、それを
もう少し推し進めて考えると、「時間がすべての世の中」ということになります。
お金を生み出すには必ず時間が必要だからです。
サラリーマンはある意味で時間を売って給料をもらっているとも言えますし、
モノを売って商売する人でも、モノ作りや店作りに時間がかかります。
商売に必要な信用を築くにも時間がかかるでしょう。
銀行の利子しかり、タレントの出演料しかり、アルバイトや家庭教師だってそうですよね。
そういうわけで、富と時間は実に密接な関係があると思うのです。
公式をたてるとするとこんな感じになると思うのですがいかがでしょうか?
富 = 時間 × 行為者のスキル
富がそのまま幸せにつながるかどうかということは別として、こう考えると、
社会生活を営む上で自分の能力や時間感覚を養うことはとても重要であることがわかります。
タイムマネージメントを行おうと思ったら、時間に対する鋭い感覚が必要です。

そこで、この感覚を身につけるためにストップウォッチを使おうというのです。

<やり方>
1、ストップウォッチをスタートさせ、1分間じっと文字盤を見る。これを何度か繰り返す。
(針の動きを目に焼き付ける)
2、ストップウォッチをスタートさせ、目を閉じて針の動きを思い出し、1分経ったと思った
時にストップさせ誤差を測る。これを何度か繰り返す。
3、1と2を繰り返す。
4、タイムを1分から2分、3分へとのばしてゆく。

試しに30分ほどやってみて下さい。
やる前より時間に対する感覚が敏感になっていることに気づきますよ。