カフェテリア・カビノチェ
特選ディスカッション


PATEK PHILIPPE

●上森氏の意見

みなさん、こんばんは。
今日はパテック・フィリップについて書いてみたいと思います。

「パテック・フィリップとの出会い」

パテック・フィリップはわたしの人生に影響を与えたブランドです。
大袈裟に聞こえるかもしれませんが、わたしはパテック・フィリップに
憧れて時計の仕事をするようになりましたので、パテック・フィリップとの
出会いが人生の進路を変えたというのは誇張ではありません。
また、パテック・フィリップを知らなければ、こうやってホームページに
文章を書いたり、みなさんともお話しすることもなかったかもしれません。
そういう点で、いまだに影響を与え続けているブランドとも言えます。

時計マニアで、いろいろと時計を集めていた10代の頃、
その頃は周りに時計好きの人などいませんでした。
本屋に行って時計の本を買ってきたり、デパートの高級時計コーナーに
行って場違いな雰囲気を漂わせながら時計を見ていたのを思い出します。
で、その時計熱がピークに達した時、
わたしは「パテックが欲しい!」と熱望したのです。
その熱望は半端なものではなく、昼も夜もパテックのことばかり考え続け、
何がなんでも手に入れたいと思うほどのものでした。
10代の終わり頃、わたしはパテックを手に入れる決意を固め、
3年間以上にわたる貯金をはじめました。
何でも真剣に思えば叶うものですね。
忘れもしない1989年の11月、わたしはとあるデパートではじめてのパテック
を手に入れました。
その頃はまだ時計ブームになっていませんでしたので、20代前半の若者が
パテックを買っていくのを見て店員さんが驚いていたのを記憶しています。

そうやって手に入れたパテックは、まさに青春のシンボルでした。
お金がなくてもパテックをつけているだけで満ち足りた気分になりました。
お金のない青年がパテックを買うなどということは、文字どおり
「清水の舞台から飛び降りる」ことであり、
「身分不相応極まりない」ことであり、
「ある種の罪悪感」すら感じることであります。
でも、手に入れた喜びの大きさを考えると、後悔などしませんでした。

多感な青年期にパテックをもつということは、お金持ちがコレクションを増やすため
に購入するのと全く違います。
パテックは青春時代に多くのことを教えてくれたように感じるのです。
たとえば、
「何事もやりたいことを思い切ってやってみろ」というようなことです。

パテックのムーブの仕上げなどを見ていると、
「実用上、特にやらなくてもいいこと」でも徹底的にやっています。
そのこだわりようは、ある種の偏執的なものを感じるほどです。
そこから、「ささいなことでも良いことなら極端なまでに行う」という理念を感じ取ることが
でき、それは、人生訓にもつながります。

笑われるかもしれませんが、わたしはパテックからこのようなものを感じ、
その後に出会うさまざまな進路の選択のとき、意思決定に影響を受けました。
その経験は金銭には代え難いものであったように思います。
よく、縁起もの、などと言うことがありますが、わたしにとってパテックはまさに
縁起ものです。
こういうことを感じさせてくれるプロダクツはそうそうありません。

そういうわけで、
パテックに代表される高級時計の素晴らしいところは、
単に時間を知らせてくれるツールとしてではなく、文化的、精神的に多くの得るところが
ある、ということだとわたしは思うのです。

●中村氏の意見

皆さん、こんにちは。
いつも皆さんの時計に対する思い入れや、エピソードを楽しく
拝見させていただいております。
私が時計に興味を持ち始めたのは40過ぎてからで、それ以前は
全く興味がありませんでした。それ以前は、はるか昔の学生時代に
アナログ全盛のオーディオにはまった時期がありましたが、
その後は、仕事と家庭というおきまりの日常生活にドップリつかって
おりましたので、せいぜい好きな本を時折買うことと、日本酒を飲む
ことぐらいでした。最初のきっかけは、本屋の店頭で時計雑誌が
目に入り、一体この世界は何なのだろうという疑問、こんなも時計に
種類があり、上は、家と土地が買えるような価格の時計が存在する
ことの不思議さ、でありました。
それから先は、中年の恋愛のように引き込まれたわけで、現在は
まだいろいろなブランド(美人)に目移りしている状態です。
前置きがながくなりましたが、そんな駆け出しの私がパテックについて
とはおこがましいのですが、見た目と価格があまりにもギャップがある
というのが第一印象でしたが、いろいろ知識が増えるうち、一つは欲
しいという気持ちにどうしてもかられ(パテックの魔力でしょうか)、
清水の舞台から飛び降りる気持ちで購入したのがノーチラスのステンレ
スのブレス使用です。もちろん正規では買えないので、並行輸入も
のです。大変シンプルで私は気に入っているのですが、私の身のま
わりでは、誰一人そんな高い時計だと気づく人はおりません。
ある雑誌にパテックの96を購入した人の気づかれなさぶりの悲劇が
書かれておりましたが、まあそれに近いものがあります。
それ以前に購入したやはりブレス仕様のブレゲマリーンでは、
ブランド名はわからなくても高そうな時計だと言われたことはあります。
購入した価格はほとんど同額なんですけれどもね。
ブレゲについて言えば日本酒で例えれば(嫌いな人にはすいません)
石川の菊姫でしょうか、上から下まで「私がブレゲ」という雰囲気が
あって好みの分かれるところでしょう。
長くなりましたが自分の感性が落ち着くまでは、まだまだフラフラしそ
うです。
ショパールしかり、ロジェ・デブィしかり、それと最近
インンターナショナル・リスト・ウオッチの20号で紹介されていた、オーデマ・ピゲ
のミレネリーのクロノ、あの妙なセクシーさにはまってしまいました。
また、奈落に落ちそうな気がするこの頃です。

●周くんの意見

私の時計との出会いですが、時計が増えて行くようになったのは
つい最近の事です。今では、2本の手では役不足で手と足の指にでも
というぐらいになっておりますが・・・
私が時計を身につけるようになってあまり時間が経っておりません。
親から時計を買ってもらった記憶もありませんし、小さい頃から私は
親に物を買ってくれとねだれない子供でした。テストのときとか受験の時は
たぶん父親の時計を借りて行ったのだと思います。
時計については、小さい頃から関心があり、本のいろんな時計を眺めていたもの
でしたが、その頃は誰がこのような時計を買うのだろうかと想像したものでした。
自分の力では、自分の欲しい時計が買えないため、私は時計はしないんだと
たぶん虚勢を張っていたのだと思います。

時計をもらわなかったことで、2つの印象に残っている出来事があります。
ひとつは小学1年の頃で、父親の友人達が家に来ている時の事です。
たぶん私がある人の時計を、ずっと見つめていたのでしょう、
その方が、ぼく、この時計あげようか?と言いました。
私は、いらないやと言って、そこを逃げ出した記憶があります。

もうひとつは、結納返しの時です。妻の、結納返しは、時計がいいかな?
という問いに、僕は時計はしないから、と言った記憶です。
この2つは、今になると残念な記憶として残っております。

パテックのノーチラス、中村さんの愛用の時計ですよね。
私も、この時計の他の人から気づかれないさりげなさと上品さにあこがれて
この時計を購入しようと思ったことがあります。その頃は、時計は思い入れのある
一つだけにしてその一つを大事にしていこうと思っておりました。
でも、買ってしまったのは、アンティークのパテックだったのです。
あれだけ、ノーチラスを買おうと思っていたのに、現行のはいつでもチャンスが
あるからという心のささやきに、初めに決めた方向から外れてしまいました。
これが、時計の遍歴の始まりになってしまいました。

中村さん、石川の菊姫ですが、私はパテックにも近いのではないかと思います。
私は越前大野に住んでいるのですが、ここはいい地下水があり、いい日本酒が
とれます。是非、そのうちお試し下さいませ。
これから、よろしくお願い申し上げます。

●GP7000氏の意見

日曜日だというのに(しかも晴れ)、仕事に追われ、一息ついて、このページを
開きました。
上森さんのパテックのお話、そして、みなさんの時計との出会い、感慨を持って
読ませていただきました。みなさん、清水の舞台から飛び降りられたんですね....。
私も飛び降りる勇気を与えられました(笑)。

シェルマンに行った折、身近にパテックを見た印象も書こうと思ってたときに、
上森さんから、このテーマが出ました。

上森さんほどの知識はもちろんありませんが、自動巻のCal.12-600が出たのが
50年台でしたっけ?完璧なムーブですね。開発の歴史を本で見て、パテックって
すんごいメーカーなんだ、というイメージがありました。
私の場合は、ヴァセロンコンスタンチンと対比させて見てしまいます。

どちらも好きですが、以前、クラシックに例えるなら、パテックはモーツァルトで、
ヴァセロンはベートーベンだって、書きました。
毎度毎度の主観ですが、時計の表情と、それぞれの静かな楽章が似ているのです。
ことばにするのは大変難しいのですが.....徹底的に気分にのめりこむベートーベンと、
やがておとずれる楽しさを予感させるモーツァルト。雨に例えれば、絶望的などしゃ降り、
怒涛の雷が前者で、東の空が明るくなってきて、じきに上がりそうなのが後者です。

いかん、あんましこういうこと書きすぎると、誰にも相手にされなくなりますね(笑)。
しかし、パテックを見ると、とりたてて派手さは無く、穏やかな顔をしているのですが、
なぜか、とんでもなくいいことがありそうな、予感をおぼえるのです。まさに、魔性的です。

しかし、みなさんの時計への思いには感服します。愛情そのものですね。
私は、まだまだ遊びかもしれません。だって、強烈な出会いもなければ、魅かれて
いったのも、なんとなくですから。

あと、分相応のお話が出ていましたが、時計ほど、身近なものであれば、
着けている方に似合うようになる、と思うのです。それも思い入れがあるからこそです。

ある女優さんが若いころ、ピゲの時計が欲しくて、でもあまりに高いのでためらって
いたところ、その時計が似合うようにがんばりなさいと言われて、舞台から飛び降り
(ここだけウソ)、思いきって購入し、辛いときには、いつも、その時計を眺めて
立ち直ったという話が、ヨメさんの女性雑誌に載ってました。いいお話ですね。

●中村氏の意見

周さん、皆さん今晩は。
越前大野にお住まいなのですね。確か毎年、福井は、日本で一番住み良い
県になっているのでは。ちなみに私は最も住みにくい埼玉県に住んでおります。
時計の話と離れて恐縮ですが、福井の日本酒では、黒龍と雲の井が好きです。
大野では花垣というお酒を飲んだ記憶があるのですが。これ以上は、どんどん
脱線しますのこれくらいにして、私のノーチラスは、現在オーバーホール中
です。購入後一年以上経ってしまったので、販売店ではなく、一新時計に出したの
ですが、リュウズ等の不良もあったようで、2ヶ月かかり、さらに10数万の出費
になりそうです。特に以上は感じなかったのですが、一新時計さんからみると
かなり手入れする必要があるとのこと。う〜ん高い時計は、メンテナンスも高くつき
ますね。手に入れることはないと思いますが、もしミニッツリピーターとかトゥール・
ビヨンだったらオーバーホール料はどのくらいになるんでしょうか。相当になるんで
しょうね。
なお、私の時計はすべてブレス仕様なのですが、それは、体質的・体格的(?)に
相当の汗かきなので、革ベルトが使えないという生理的理由によるものです。
そういう人は、私ぐらいでしょうか。
前に書いたオーデマピゲのミレネリーのクロノですが、ブレス仕様が出ることを
痛切に期待している次第です。
今後とも皆様、よろしくお願いします。

●Lansing氏の意見

中村さんもオーディオがお好きの様ですね。
それなら、僕のハンドルネームの由来も判るのでは...。
お酒は、「羽前白梅」が気に入っています。
趣味が多く、所帯も持ち、「パテックへは、まだ遠いし。」といった状況です。

●中村氏の意見

Lansingさん、皆さん、今晩は。
20年以上遠ざかっていると思い出すのに時間が必要でした。
アルテックですよね。

私は、現在ご紹介するのも恥ずかしいのですが、
アコースティック・エナジーというイギリスのメーカー
の小型のスピーカーを中心に細々と楽しんでおります。
もちろんアナログプレーヤーも健在です。
全く時計と同じで日本という国は、デジタルになると一方的に
右ならい右で、あっというまにアナログを駆逐してしまいましたね。

超高級オーディオの世界では、まだあるという話も聞きますが、
良心的な中小メーカーが消えてしまったのは、本当に残念です。
カートリッジのサテン音響やコンデーサースピーカーのスタックス
など好きだったのですが。良く学生時代は時間を見つけて(さぼって)当時、
雑司が谷にあった、スタックスの試聴室で、あの衝立方のコンデンサー
スピーカーから流れるバロックを楽しませてもらいました。

時計はアナログ復権の兆しが多少見られますが、日本のオーディオ
ももう一度アナログの良さをメーカーに認識して欲しいと思う
今日この頃です。

●周くんの意見

時計とオーディオとなにかよく似ていますね。
たぶん、正確にメカニズムを通して何かを再現するという所が似ているのでは
ないでしょうか?オーディオの方がコストパフォーマンスが高い気がしますが(笑)
私もイギリスのスピーカーが好きで、というより弦楽器の音が好きなため、イギリスの
スピーカーが好きなのですが、現在、QUAD ESLPROを愛用しております。
スタックスが出てきていましたが、コンデンサー型は弦楽器、ボーカルにはとても
優しく暖かい音を鳴らせます。

時計で喩えると、何でしょう・・・
私にとっては、50年代60年代のオメガの時計のような感じですかね?
Lansingさん、Lansingさんは、アルテックかJBLが愛用なのでしょうか?
JBLというと、時計に喩えると、IWCかSINNのような感じでしょうかね。
つい最近、友人宅でK2S9500を聞いたのですが、そのJBLの音はなにか昔と違って
イギリスのスピーカーの音の良い所をとったような音を聞かされてびっくりしました。

でも、時計もオーディオのように、自分でセッティングできたり、部品を交換できたり
したらもっとすごく楽しくなるかもしれませんね。
雑誌に、時計学校の記事とか出ていますが、これからどんどん応募者が増えて行くような
気がするこの頃です。

●Lansing氏の意見

過去に、アルテック、JBL、タンノイの3大ブランド?を使った事があります。 
QUARDは、Model Uの管球アンプとタンノイで苦しみました!!
職場のPCで時間も無く、ミスタイプが時々有りますが、大目に見てください。
以前よそで、バリリ弦楽四重奏団とウィーン・コンッエルトハウスを間違えた時は、
あせりました。

●voyager氏の意見

上森さん、おはようございます。ご無沙汰してました。

「パテック・フィリップとの出会い」楽しく読ませていただきました。
わたしにとってはオメガのスピードマスターがそれに当たります。

学生の身分にもかかわらず、それを手に入れたときの幸福感と罪悪感は
私も経験しました。小心者の自分は、その時計を所有することの意義(口実)
を自分自身に納得させる必要がありました。

>パテックに代表される高級時計の素晴らしいところは、
>単に時間を知らせてくれるツールとしてではなく、文化的、精神的に多くの得るところが
>ある、ということだとわたしは思うのです。

確かケネディ大統領が人類の月到達計画を発表したときに以下のような演説を
したと記憶しています。
「60年代に米国は月に人間を送りたいと思う。なぜなら、それが簡単だからではなく、
反対に難しいからである」
その後はご存知のように人類史上、希に見る金額、労力がつぎ込まれました。

易きに流れそうになるとき、スピードマスターは私に「チャレンジ精神」
を再認識させ、勇気を与えてくれる大事な相棒です。

●crossroads氏の意見

ようやく少し暇が出来たので、この掲示板をみてびっくりです。
あこがれのパテックで盛り上がってますね。私も27−460や12−600
が欲しくて考え込んだことがあります。結局時期尚早って事にして購入
しませんでした。上森さんは先日のロレックスと共にすごい時計持ってますね。
”力”が入ってるのが伝わってきます。

パテックについても良い点と悪い点があると思います。火事場で火消しの
悪口を言うようですが、気に入らない点を言ってバッシングに合おうかな。

最もおかしいと思うのは、高額時計ばっかりって事ですね。なぜ見えない
時計職人にしか解らない様なロータに彫り物をする必要が有るのでしょう。
グラスバックであれば有る程度は解りますが。・・なぜSSのケースで出して
くれないのでしょう。なぜあんなに高いのでしょう。

理由は生産量を増やさない「ポリシー」から来ている事は明白です。限られた
数量で利潤を生むためには、単価を上げるしかないからでしょう。同様に
ムーブメントに対する徹底的な研磨も生まれて来るのでしょう。言葉を換えて
言えばオーバーデコレーションに当たると思います。そしてほとんどの人は
それを見ることも出来ず、ごくわずかの時計職人さんたちだけが、恩恵に
あずかる事が出来ます。これも生産量を限定した上での徹底した資本の論理
ではないでしょうか。単価を上げるために原価=人件費を上げているのです。

必要以上にお金をかけてなくてもいいから、あの高精度の時計が欲しい
ってユーザは結構いるんじゃないでしょうか?私なら1年や2年位待っても
欲しいです。それほど魅力ある機械だと思ってます。

メンテ代も高いですね。それで良い時計が1本買えてしまう。「パテックだから」
って事でしょうが、OVHする作業が他の時計と違うんでしょうか?作業上での
非効率を安易に価格に転化してないのだろうか?

そんなに文句が有るなら買うな・・と言わずに聞いて下さい。個人的には欲しくて
しょうがないのです。

●上森氏の意見

crossroadsさん、こんばんは。お元気ですか?

わたしは最近、電子辞書に凝っています。
SONYのデータブックやシャープの電子辞書など、この手の情報機器の進歩には
目を見張るものがありますね。
お恥ずかしながらわたしは、今まで電子的な辞書は使ったことがなかったのです。
広辞苑や英和活用大辞典などが一瞬でひけると、カルチャーショックを受けたような
気になります。
安くて高性能な電子機器の普及は素晴らしいことですね。

電子機器の普及といえば、
昔、私の妹が高校生だった頃、学校でディベートが行われたそうです。
テーマは「最近のワープロの普及は是か非か?」だったそうです。
学生の意見は次のようなものでした。

1 ワープロの普及は今までになかった文章表現の可能性を切り開くものであり、
大いにけっこうなことである。
2 ワープロの普及は字を忘れたりする弊害を生じることにつながり、
好ましいことではない。

面白いのは、2の意見に固執する学生がけっこうたくさんいて、彼らはその主張を
固く曲げなかったということです。

ここで注目しておかなければならないのは、そのディベートには先生が同席しており、
参加者がどのような意見を発表するのかをじっと観察していたということです。

で、私の妹は、その2の意見を頑固に主張する人達を見て、
「この意見は同席している先生に対する媚態なのではないか?」
と感じたそうです。
つまり、先生は年配であり、年配の人というのは得てして
「昔はよかった。最近の風潮は嘆かわしい。」とよく思っているので、その先生の嗜好に
合わせた発言をする(パフォーマンス)ことによって、先生の印象をよくしようと図った
のではないか、ということです。

この話を聞いて、わたしはなるほどと思いました。

考えてみると、このような例は社会生活の至る所で見ることができます。
たとえば、会社の会議。
誰か発言力の強い人や、会議全体の流れがあるとして、もし自分がおかしいと思って
それに真っ向から反対する意見をすると会議の参加者から白眼視されることがあります。
なぜそうなるかというと、多数の人々が有力者に気を使いすぎたり、媚びたり、気後れ
したりして、反対意見などというものは出そうとも思わないからです。
そんなことをするよりも、意義を唱えず、
「そうですね、そうですね。」と言っておけば、安泰だからです。
このようにして、底の見え透いた内容のない話し合いが行われていくのです。

以上の、考えからわたしは、
「多くの人々が同意していても、それとは違うはっきりとした意見を自分がもっていたら
躊躇することなく述べる。もし、それが許されないような会議であれば参加しない。」
という方針で生きていきたいものだ、と思ったのです。
でも、現実にはなかなか難しい面もありますが・・・。

わたしは過去、
「どうです! いいでしょう、この時計。」
「いやあ、いいものはいいね、うん、いいものはいいよ。」
「この辺どうですか?何とも言えないでしょう。」
「素晴らしいね、これくらいのものを持ってみたいものだね。」
「いやあ、本当にいいものはいいですね。」
「ああ、まったく、いいものはいい。」

などと言っている販売員とお客を見て、
「どこがそんなにいいんだ! 茶番はやめてくれ! 」
と言いたくなったことがあります。

パテック・フィリップにもその特異なブランドゆえに巻き起こす仮像(主観的幻影)
が多くあるように感じます。
たとえば、

・王侯貴族のために時計を作っている
・それを持つにふさわしい人物かどうかを問われる時計である

などと言われると、
「単なるプロダクツをそこまで有り難がることもないのではないか」とか、
「偶像崇拝にも近いのではないか」などと思います。

したがって、そういうあまりに権威的逸話に興じたいとは思いません。
また、あまりそれに興じるのは本質を見抜くことを妨げるとも思います。
本質を知ろうと思う人は、特別視をやめてまずこの仮像を取り払わなければいけない、
そのためにはえこひいきのない冷徹な審判者としての心構えが必要だとも思います。

さて、crossroadsさんの今回のお書き込みは以上のごとく、パテック・フィリップに対する
愛情ゆえの批判的ご意見とお見受けしました。

私なりの考えを述べさせていただきます。
決して手放しで特定のものを「いい」と言うつもりはないことをご理解していただいた上で
以下のコメントをお読みいただければ幸いです。

>最もおかしいと思うのは、高額時計ばっかりって事ですね。
>なぜ見えない時計職人にしか解らない様なロータに彫り物をする
>必要が有るのでしょう。

精度とか実用性の見地からすれば彫り物をする必要はまったくないと思います。

ただ、精度とか実用性のみを重視するのであれば安価なクォーツの方が数段
優れているわけです。
それでも多くの時計愛好家が、メカを求めるのはその解りやすく現実的な実用性
のみならず、何よりも「味わい」だと思います。
味わいを求めるからこそ、時間の不正確な機械式時計を選ぶと思うのです。
「テンプはチラネジがいい」とか、「受の角は丸くなっていて欲しい」とか、
「巻き上げヒゲを使って欲しい」という、実用には何の関係もないことを願う心理の
根底には今述べたことにあると思うのです。

だとすれば、それを更に極端に実現した時計、実用的ではなく、味わいの面を強調
した時計は珍重されると思うのです。

見えないローターの彫り物については、このように感じました。

>グラスバックであれば有る程度は解りますが。・・なぜSSのケースで出して
>くれないのでしょう。

確かに貴金属ケースを多く出していると、ブランドとして高級感が出てくるので
そのことも考慮した上での素材選びを行っているのだと思います。

ただ、それがすべてでもないと思います。

ステンレスは、ちょっとやそっとでは錆びませんが、何十年も使用すると錆が
出てくる場合があります。
直接肌に触れている時計に、最も理想的なケース素材は「錆びない金属」だと私は
思います。
ステンレスが金やプラチナなどに比べて優れている点は、
「コストを下げることができる」という点です。

しかし、コストを度外視した製品作りを行うという方針であれば、
貴金属のケース素材の製品が多くなるのは、うなずけるのではないでしょうか?

>なぜあんなに高いのでしょう。
>理由は生産量を増やさない「ポリシー」から来ている事は明白です。
>限られた数量で利潤を生むためには、単価を上げるしかないからでしょう。
>同様にムーブメントに対する徹底的な研磨も生まれて来るのでしょう。
>言葉を換えて言えばオーバーデコレーションに当たると思います。
>そしてほとんどの人はそれを見ることも出来ず、ごくわずかの時計職人さん
>たちだけが、恩恵にあずかる事が出来ます。

おっしゃる通りだと思います。

>これも生産量を限定した上での徹底した資本の論理ではないでしょうか。
>単価を上げるために原価=人件費を上げているのです。

単価を上げるために → 生産量を制限し → 手間をかけた製品作りをする
と考えるよりも、

手間をかけた製品作りをすると → 人件費が上り → 生産量が制限され → 単価が上がる

というふうに考えることもできると思います。

>必要以上にお金をかけてなくてもいいから、あの高精度の時計が欲しいって
>ユーザは結構いるんじゃないでしょうか?

つまり、安価な普及モデルを出すということですね。
昔のパテックはあまりそういうことをやりませんでしたが、最近は若年層の
消費者を獲得するために低価格ラインを充実させてきていますね。
レディースにも力を入れてきていますよね。
企画品としてステンレスの革付きモデルも出してもおかしくないですね。
でも、もっと安いモデル(たとえば20〜30万円台)をパテックに要求するのは
ちょっと無理ではないでしょうか。

大変個人的な意見ですが、パテックはむしろ、あまり受け狙いのデザインではなく、
世俗にとらわれないような抜け出た製品作りを続けていってほしいと思うのですが・・・。

>メンテ代も高いですね。それで良い時計が1本買えてしまう。
>「パテックだから」って事でしょうが、OVHする作業が他の時計と違うんでしょうか?

たとえば、ネジに実用上は何の問題もない小さい傷がついているとします。
パテックなら新しいネジに交換されてしかるべきだと思います。
安価な時計のOHには使わなくていいような心配りが要求されるし、交換パーツも高いので、
安価な時計の修理代より高くなることはやむを得ないと思います。
ただ、わたしもcrossroadsさんと同じく、今のメンテ代が安いとは思いません。

以上、また長々と書かせていただきました。
crossroadsさん、コメントを書きながらいろいろと考えることができました。
ご意見ありがとうございました。

●ハンソロ氏の意見

みなさんの時計への深い知識に、少し参加がためらわれますが、ちょっとだけ
参加させて下さい。

PATEKに関するcrossroadsさんの考えは非常に面白いと思います。特に「無駄
な部分にお金をかけているのではないか?」という部分は、なかなか面白い
ですね。上森さんに以前「チラネジ論」で、貴重なご意見をいただいたので
すが、それに通じるものがあるような気がします。基本的に「コスト度外視」
というのがPATEKの方針ですから、「手間はいくらかけてもOK」というのが
基本姿勢のように思えます。それを全くその通りと思うユーザーが多く、
それが当たり前であったのではないでしょうか?

ただ、やはり機械という部分で「愛好家」が増えるにつれ、「安い値段で
あの素晴らしい機械を・・・」というユーザーも出て来ておかしくない
ような気もします。しかし、それではPATEKらしさが出ないという、自己矛盾
に陥りそうですね。

見えない部分にお金がかかっている、というのも、割と満足されているユーザー
が多いのではないかと思えます。個人的には、そういうメーカーが一つはあっても
いいのではないかと思います。確かに、安くて良いものが欲しいというのは
本音なのですが・・・

しかし

>「どこがそんなにいいんだ! 茶番はやめてくれ! 」
>と言いたくなったことがあります。

ここでは、上森さんの本音が聞けるような気がしますね。なかなか面白い
です。(笑)  ではでは。

●Chika氏の意見

はじめまして。Chikaと申します。
僕もパテックが大好きで、特にアンティークのパテックに
完全にはまっています。

僕は遅れてきたパテックファンで、パテックを知ったのは
ほんの4年くらい前です。3年前に遊びでニューヨークに
行ったとき、現地の時計屋でRef. 2552を見つけて買うこと
ができました。(当時$1=¥85の超円高だったので、
とても安く買うことができました。)近々2本目を購入予
定であります。

crossroadsさんが時期尚早で購入しなかったと書かれてい
ましたが、僕はもっと早くパテックに出会って購入したか
ったと思っています。だから、上森さんが20代前半でパ
テックを購入したというのを読んでうらやましく思いまし
た。(僕は30歳の時に購入しました。)

2552はもちろん使っています。普段メインで使っているの
はROLEXなのですが、2週間に一度くらいは2552をつけて
通勤しています。パテックをしていて、「パテックしてる
ね。」なんて言われたことは一度もありません。時計ブー
ムを言われていますが、僕の回りではそんな感じは無いで
すね。僕にはかえって気付かれない方が都合が良いです。

メンテ代は確かに高いですよね。一度一新時計にメンテナ
ンスに出したことがあるのですが、10万近くかかりました。
今後も一新時計にメンテナンスを出すかどうか迷ってます。

皆さん雑誌などを見てご存じだと思いますが、パテックは
その所有者に対して真正証明書を発行してくれます。(発
行してもらうのに100スイスフランかかります。)僕も
スイスのパテックの本社とやりとりをして、発行してもら
いました。パテックを持っていらっしゃる方、是非問い合
わせてみてください。自分のパテックが何年に製造され、
何年何月何日に販売されたのかが分かります。(それを
知ったところで、どうってことないのですが…。)

もうパテック(というより時計)は買わないと思います。
いくら好きとはいえ、経済的にもう余裕はありません。
(宝くじが当たれば別ですが…。)でもこれからも時計屋
や時計展に出かけてパテックを追いかけていきたいと思い
ます。

●周くんの意見

crossroadsさん、こんにちわ。
経済からのパテックの価値の解析、とてもおもしろく読みました。
上森さんの言うように、同じパテックの擁護の意見ばかりでは、建設的ではないですから
いろんな意見があった方が楽しいですね。

>>最もおかしいと思うのは、高額時計ばっかりって事ですね。なぜ見えない
>>時計職人にしか解らない様なロータに彫り物をする必要が有るのでしょう。
>>グラスバックであれば有る程度は解りますが。・・なぜSSのケースで出して
>>くれないのでしょう。なぜあんなに高いのでしょう。

これはスイスの歴史から考えて見ると、スイスは時計の技術をもってこの近代を
発展して来たのです。19世紀の工業国スイスというのは、時計産業を差していて、
それの技術をもとに、あらゆる近代文明を生み出して行ったのでした。
この頃の時計というと、今の時計とは全然価値が違っており、貴族のシンボルとも
言える高価なものでした。そしてそれは、本当に精巧な機械として、また緻密な
デザインの芸術品だったのです。パテック、バセロンなどの昔からあるブランドは
その伝統を受け継いでいると考えられます。
そして、ssとかの安価なものを出さないのは、やはり対象が違っているのでしょう。
たぶん、今のパテックは、商売という欲を出して来ていますので、すこし違うでしょうが、
日本市場とかは、元来、考えもしなかったものだと思います。
スイスの産業として、代表的なのは、時計、銀行、化学工業です。
このなかで、スイス銀行というのは、顧客の秘密をどんなことがあっても守るので
有名でしたが、世界中の裏のお金とかは、昔、ここに集まって来たものでした。
スイスの時計産業は、それらを育成しながら、また、そこから恩恵を受けながら
現在に至っているものだと思われます。パテックにしろ、たぶん公表していないでしょうが
いろんなランクの時計は、その数字以上に、それらのスイス銀行の顧客とかに
買われているのではないでしょうか。そしてまた、特別な注文とかも受けているだろうと
想像されます。昔は、貴族がその対象でしたが、現在ではそんなところではないでしょうか?

>>理由は生産量を増やさない「ポリシー」から来ている事は明白です。限られた
>>数量で利潤を生むためには、単価を上げるしかないからでしょう。同様に
>>ムーブメントに対する徹底的な研磨も生まれて来るのでしょう。言葉を換えて
>>言えばオーバーデコレーションに当たると思います。
>>単価を上げるために原価=人件費を上げているのです。

この分析は鋭い着想ですが、私には、そうかどうか知らないです。
というより、需要に対して、いろんなコストを計算すると、経験的にあの価格になると
考えるのが、一般的のような気がします。
そして、オーバーデコレーションと出てきましたが、
たぶん、パテックに言わせると、「私たちは、昔からの、スイスの時計の伝統に従って
いろんな装飾をしている、私たちは、一つの製品に、できる最大限のことを
するのが勤めだと思っている。」こういう風になりそうな気がします。
これが、良いことかどうかは分かりません。
ただ、時計メーカーがパテック1社だけだとしたら、許されないでしょうが、
いろんな時計メーカーの中のひとつのありかたとしては、貴重だと思います。

●voyager氏の意見

Patekに対する賛否両論、楽しく拝見させてもらってます。この話に関連して
私が思った点を話します。
私はモネの絵が好きなのですが、その中でも彼が描いたノートルダム寺院の絵
はお気に入りのひとつです。画家が同じ対象を何枚も描くことはよくあるので
すが、ノートルダム寺院の場合はそれぞれが別の感性で描かれており、それらを
ながめていると不思議と幸福な気分になれます。
NYのメトロポリタン美術館に1枚、Parisのオルセー美術館に5枚ほどありますが、
その他にもあるはずなのでいつかは全部を見てみたいと思います。

さて、時計を「工業製品」とみるか「美術品」とみるかで意見は大きく分かれそうな
気がします。工業製品として大事な指標に「品質管理」があり、「規格」にいかに
近づけるかが重視されます。採算がとれるかどうか、マーケットの規模はどうか
など、どうしても「商品」の側面を無視できません。

一方で、美術品においては人をうならせることができるか、つまり「感動」をどれ
ぐらい与えられるがポイントになります。もう少し突っ込むと鑑賞する人間の
「こころの琴線」に触れることができるか、がポイントになります。そのため
そこでは採算や手間など無視されることがしばしばあります。現在に伝わる美術品
の多くが、かっての支配階級がパトロンとなり、その創造に気の遠くなるような
労力、金額が使われたことは否定できない現実であります。

以上の区別は分析のための便宜的な極論であり、現実には、どちらにどれだけ
近いかが問題となります。また時代とともにどちらに向かっているかも大事な
着眼点かと思います。

思うにPatekは美術品から工業製品へ多少とも歩みよりつつあるのではないでしょうか。
貴族や王侯階級が消滅しつつある現在に、美術品として「感動」を与えるもので
ありつづけるには、やはり「新しいパトロン」が必要なのかのしれません。それが
現代の大金持なのか、一般の消費者なのかは不明ですが、趣味が彼らが時計作り
をしていない以上、それを買う人間であることだけは確かです。現在のPatekの
値段が高いか安いかは、敢えて言えば、自分の「感動」の値段であり、Patekの
未来を支えていると考えることもできるのではないでしょうか。

美術品の世界に値段があってないがどとく、美術品であるPatekに値段はあって
なきがどとしと考えるのはちゃっと乱暴すぎますでしょうか。
もちろん、絵には美術館での
鑑賞という「お金のない人も楽しめる」方法が残っていますが、時計の場合は
「身につける」という「独占」的な部分があるため、どうしても所有しなくて
は、感動を享受できないという反論は、価格の妥当性が問題となる有力な根拠
と思います。

「感動」と「その対価」という命題は、ほんとに難しいですね。もう少し熟成
させてみたいと思います。

●crossroads氏の意見

みなさんこんにちは。さすがにパテック、轟々たる御意見にみなさんの思いが
伝ってきました。素朴な疑問から始まった内容ですが、いろいろ勉強になりました。
おつきあい頂いてありがとうございます。
 
事の発端はSSケースのパテックってのを見たときです。逆に稀少だってんで余計に
高い値段が付いてたりするんですが、これでピンと来たわけです。なんだパテックも
SS作るのか!って。

金は確かに手になじむし、付けてて気持ちいいです。金の泣き所はやはり傷が付き
やすいのとブレスも金しか出来ない所です。私の仕事では金ブレスはちょっと
無理かな。(高いし!)
SSで良い時計が欲しいのはみなさんも同じではないでしょうか。

ラリーなどで走ってる車は実際に売られている車とは全く別物で「コスト度外視」
で作られています・・がそれも三菱であり、トヨタであり、スバルで車名も一緒です。
パテックも同様ではないでしょうか。ん千万の時計の磨きは「有名」な職人がして
我々の買える機種は「健康なお姉さん」がやってるとか。つまり「コスト度外視」の
「芸術品」の機種「も」あるって言うか。

平行品?を見ると定価の半額位の値段ですね。バセロンやオーデマなども金時計は
似たような割引率です。逆にSSのIWCやルクルトでは割合が減っている。定価
の中に含まれる流通へのマージンが割引き率に出ていると思うんですが。半分ってのは
・・どんなもんでしょう。じゃあ時計の値段ってほんとはいくら?

「パテックだから・・」に随分いろんな事が隠されてしまってると感じます。
徹底的に手間をかけて作った時計が半額になるんだろうか?
私は100万払ったら、時計自体に99万掛かった時計が欲しいです。(無理難題!)
 
今世界を動かしているのは「消費の力」で、消費が減れば簡単に政府なんて変わって
しまう世の中です。時計業界でも日本は大きな市場なのですから、我々がこういう時計
が欲しいって主張するのは良いことだと思うんです。
パテックさん「実質でこれが最高」って時計作ってみんかい!ってね。

上森さん:いつもフォローすいません。エドワードで名月どうでした?

周くんさん:いつコレクションが公開されるのか楽しみにしてます。

Chikaさん:以前上森さんが田村隆一を出されてましたが、彼が「最近、品の良い
       婆さん減ったね・・ブランドで固めてりゃ品がいいってかい?」とか
       言ってたんですが、品がいいブランドも有りますよね。

voyagerさん:美術品に該当する時計も有りますね。技術が爛熟すると、芸術に
       走るのは職人が芸術家と言い出すのと符合しますね。

●crossroads氏の意見

以前から考えていた事に、職人と芸術家の違いがあります。落語から大工まで
職人が技を極めていって「芸術」と呼ばれるようになる。じゃあどこまでが
職人で、どこまでが芸術かってなかなか分けられない。どちらも我々には十分
感動を与えてくれるし、本人はただの噺家とか、でーくと言ってても、回りが
許さないなんてね。

簡単に言うと芸術品を作ろうと思って作るのが「芸術家」なのかも知れません。
ただ誰が作ろうと人が作った物は、出来た瞬間に作者から離れて歩き始め、音楽
や絵画や陶器のように感動や安らぎや恐怖を与えます。
 
>「感動」をどれぐらい与えられるがポイントになります。もう少し突っ込むと
>鑑賞する人間の「こころの琴線」に触れることができるか、がポイントになります。

作者から離れた「物」を見るだけの私にとってこれは大きな点です。
感動する事がだんだん減ってる様な気がしますけど・・(年かな)
 
>思うにPatekは美術品から工業製品へ多少とも歩みよりつつあるのではないでしょうか。
>貴族や王侯階級が消滅しつつある現在に、美術品として「感動」を与えるもので
>ありつづけるには、やはり「新しいパトロン」が必要なのかのしれません。

そうですね、市場の発達と共に、美術品よりも遙かに大きな利益を生み出せる
方式に変化したのですね。「新しいパトロン」とは消費の力だと思います。

>美術品の世界に値段があってないがどとく、美術品であるPatekに値段はあって
>なきがどとしと考えるのはちゃっと乱暴すぎますでしょうか。

個人的には、職人(メーカ)が芸術に「逃げた」らちょっとやりきれない気がします。
生産品を作るのはあくまで職人で、出来た物が自然と「美術品」にもなるって
のがいいなあ。職人には「美術品」を作って欲しくないっていうか。噺家はやっぱり
話に徹して、でーくはきっちり家立てて欲しい。だからそういう目で作品も見たい、
これはあくまで職人の作品(時計)だって具合に。

もう国民の9割からが「中流」になった国では生活の中で出来た余裕が「芸術」
に向かうのでしょうね。みんなが「余裕」を求めてブランドにその陰を追ってる。
また、後ろからもみ手で付いていく人も当然いるでしょう。

voyagerさんの言われた事を考えていて、自分の持ってる貧乏性に気が付きました。
やはり床の間に安物の水墨画(のコピー)が掛けてあった人間と、「総天然色」の
油絵が掛けてあった(大陸の)人間が基本的に違うんだって事なんですが。

質実剛健、精巧、シンプル以外の考えも・・これからは良いのかもしれません。

●上森氏の意見

crossroadsさん、

>個人的には、職人(メーカ)が芸術に「逃げた」らちょっとやりきれない気がします。
>生産品を作るのはあくまで職人で、出来た物が自然と「美術品」にもなるって
>のがいいなあ。
>職人には「美術品」を作って欲しくないっていうか。噺家はやっぱり
>話に徹して、でーくはきっちり家立てて欲しい。だからそういう目で作品も見たい、
>これはあくまで職人の作品(時計)だって具合に。

私はcrossroadsさんのこの見解に拍手を惜しみません。
芸術家ってのは自分で名乗るものではなく、他人からそのように評されるものですよね。
「我社の製品はアートです」なんて言うメーカーが出てきたとしたら、おっしゃる通り
やりきれませんね。
噺家だって、「この噺は芸術だ」などと思っていたとしたら、聞いてる方も単純に
笑えなくなってしまいます。

crossroadsさんのご指摘なさりたかったことはこの点だったのですね。
つまり、パテック・フィリップも芸術を自称するのではなく、メーカーに徹して欲しい。

今回のお書き込みを読んで、真意が読み取れたような気がするのですが、
もし違っていましたらおっしゃってください。

●中村氏の意見

皆さん、今晩は。
たびたび申し訳ありません。
あまり、違う話で盛り上がるもの、どうかと思い、しばらく皆さんのお話を
聞くだけにしようかと思っていたのですが、QUADと聞いてうれしくなってしまい
ました。
周さんうらやましいな。コンデンサースピーカーは、今時、頼りない低音ですが、
それをはるかに凌ぐ、ナチュラルさと高音の透明感、一度とりつかれたら、
パテックのような魔性性がありますよね。
本当にスタックスのあの障子のような平面スピーカーは、学生時代の憧れでした。
もう、手に入れる術はないのかもしれないけど。
なんだかアンティーク時計への憧れに似てきました。

●上森氏の意見

「パテック・フィリップの味わい」

パテック・フィリップは、その製品のそのものの魅力や会社の歴史、
更にはムーブメントの素晴らしさなど、汲めども尽きない楽しみがあるので、とても見所が
多いです。

まず製品の概観からみてみましょう。
パテック・フィリップのデザインは多くの場合シンプルです。
こう言ってよければ地味ですらあります。
奇をてらったデザインはほとんどありません。
ケースは全体的に「分厚い」ものが多く、印象でいうと「ぼてっ」とした質感で、
ずっしりと重みを感じます。
他の高級時計に比べると「密度が高く、つまっている」感じがあります。

ノーチラスなど一部のスポーツタイプを除いて、パテック・フィリップの主力は
金製時計です。
ラグの部分のエッジの鋭さ、時針分針の先の鋭さなど、金の特性を生かした見事な
加工を行っており、目を楽しませてくれます。
直線を用いたところはあくまでまっすぐで、曲線を用いたところはあくまで丸く
仕上げています。
特にベゼルに刻まれた「ホブネイルパターン」と呼ばれる細かい鋲打ち模様は、
パテック・フィリップの看板的なデザインのひとつです。
このデザインを用いた有名な時計として、リファレンス3919があります。
真っ白な文字板に黒のローマ数字、美しい黒のリーフハンド(葉型針)、そして
ホブネイルパターンのベゼルは時計愛好家ならどなたも一度はご覧になったことが
あることでしょう。

3919をご紹介しましたが、その他の手巻きの代表モデルである3796もつけ加えて
おかなくてはいけません。
いわゆる「96モデル」のことです。
このモデルはスパッと切れたような平面のベゼルが特徴で、深い色合いのアイボリー文字盤、
棒字インデックス、ドルフィンハンドといういでたちです。
その虚飾を取り払ったシンプルな美しさは比類ないものがあり、文字どおり、シンプル時計の
ひとつのモデルとして、今後も愛され続けていくことでしょう。

オートマを見てみましょう。
オートマはムーブメントに注目したいところです。

つい最近振動数を落としたキャリバー315(330)にするか、
ハーフローターが美しいキャリバー240にするか、迷うところです。
アンティークウォッチでは、何はともあれキャリバー27ー460を挙げたく思います。

ちょっとオートマキャリバーの遍歴を振り返ってみましょう。

GP7000さんもおっしゃっていた、cal.12-600は、パテック・フィリップ初の自動巻き
ムーブメントです。
そういう意味で意義があると共に、希少価値があります。
12-600は大変少ない数しか作られていないのです。
トロピカルという陶製文字盤の時計にも使われているので有名ですよね。
やがて、12-600は27-460というムーブに世代交代しました。

27-460は、パテック自動巻きムーブメントのひとつの頂点だと思います。
今のムーブに比べると、全体的に大きくがっしりした印象を受けます。
18Kのローターの中央に彫られたカラトラバ十字は、あまりにも美しいですね。
両方向回転両方向巻き上げのムーブです。
このムーブ搭載モデルとして、3445を特に挙げたいと思います。
このモデルは比較的アンティークではよく目にします。
真ん丸の革付きモデルで、ホワイトゴールドが素敵です。
価格もそんなに高くないので、ぜひ注目してください。

次に28-255という変則的ムーブメントが登場します。
これは、オイルショックの頃、ムーブメント開発に投じる資金が各社不足していた頃、
パテックがバセロンなどの他社と共同して開発した異色ムーブです。
ローターにガイドのようなレールがついているのが特徴で、今ではバセロンのシャンベラン
にその末裔が搭載されていますね。
このムーブメントも大変美しいもので、パテックは初期のノーチラスや、3602という
二針の革付きモデルに搭載していました。
3602もホワイトゴールドがとてもきれいで、価格もそんなに高くないので
ぜひ見てみてください。
この頃からムーブメントは薄型化していきました。

この時代、裏リューズの自動巻きムーブも作られました。
構造は画期的でありながら、いまひとつ浸透しなかったムーブです。

そして、キャリバー310(335)が登場しました。
これがマイナーチェンジされ、現行キャリバーである315(330)になりました。
パーツ素材は改良され、薄型を実現しました。
現行の315は、ローターに22Kを使用しており、安定性、等時性共に大変優れています。
315は革付きのモデルに、330はノーチラスに入っており、両者ともほとんど
同じなのですが、カレンダー部分が少しだけ違います。

また、現行ではキャリバー240があります。
ハーフローターの逸品です。
ハーフローターはムーブメントの小型薄型化を実現するので、永久カレンダーなど
厚みの出てくる機械のベースキャリバーとしてもよく使われます。
通常、ハーフロータームーブは「巻き不足」という宿命ともいえる症状に悩まされる
ものですが、こと、今のcal.240に関しては、この点は完全に克服されています。
パテックが総力を上げて改良を重ねた結果だと思います。
このムーブ搭載モデルとしては、4時方向にスモールセコンドのついたユニークな
モデル5000、永久カレンダーなどがあります。

●周くんの意見

パテックの最初のメッセージで、上森さんは、パテックについて書かれました。
「良いと思われる事なら、どんな些細なことでも徹底的にやる」と。
こういう会社というか、それを形造る場所を与えられる方はとても幸せですね。
欧米とひとまとめにされますが、物を作ると言う事に関して、ヨーロッパとアメリカでは
全く違うように思えます。アメリカはというと、株主に対して最大限の利益を上げるように
物を作る上での基本方針があると思います。だから、絶対にパテックのような製品は
生まれ得ないのではないでしょうか?
これに対してヨーロッパは、個人も会社も、利益ということ以上に、伝統とか
歴史を大事にするという基本方針があるのではないかと思います。
これに対して日本はというと、これについては中村さんが述べております

>>全く時計と同じで日本という国は、デジタルになると一方的に
>>右ならい右で、あっというまにアナログを駆逐してしまいましたね。
>>超高級オーディオの世界では、まだあるという話も聞きますが、
>>良心的な中小メーカーが消えてしまったのは、本当に残念です。

たぶん、日本の場合、物事に対する基本方針が定まっていなくて
その時々の環境によって、それらの方針が変わってしまうのだと思います。
確かにそれは、小回りが利き、会社の利益を上げるのには最善かもしれません。
しかし得てしてそれは、日本の不調和な町並みに見られるように、
各自のことだけしか考えなかったため、より大きな誇りを捨て去ってしまうことに
つながってしまうのではないでしょうか。

2日程前の新聞で、セイコーが機械式時計の技術を、若い技術者に伝えるために
その人材を主力工場に移管するような記事を読みました。
現在は機械式時計が一種のブームになって、利益を見込めるようになったから
だと思いますが、利益とかだけではない基本理念を定めないと、
また同じ事の繰り返しになってしまうと思ってしまいます。

●上森氏の意見

周くん、
理念についてのお話しを読ませていただきました。
読み進むにつれ、そのご意見に心から賛成すると共に、モラルというものの捉え方について
考えさせられました。
今日は、周くんのご意見に触発されて、大いに脱線して精神論を書かせていただきたいと
思います。

>アメリカはというと、株主に対して最大限の利益を上げるように
>物を作る上での基本方針があると思います。

わたしは、アメリカは最近変わってきているように思います。
最大の変化は、コミュニケーション手段の進化だと思います。
インターネット利用の規模が大変大きいため、企業活動の中枢にある
Eメールなどの意思決定システムが、質・量ともに他国よりも整備されており、
それによって企業活動が従来になく柔軟で機敏になってきていると思うのです。
意思決定の上での情報流通の拡大は、ビジネス上だけではなく社会生活その
ものを大きく変化させます。

意見を述べさせていただくと、このこと(意志疎通の向上)により、
今までの資本主義の企業の典型であったような会社が、多くモラルを重視するように
なってきたと思うのです。
そして、そのモラルの重視こそ、これからの社会にとって大きなテーマに
なってゆくと思うのです。

>たぶん、日本の場合、物事に対する基本方針が定まっていなくて
>その時々の環境によって、それらの方針が変わってしまうのだと思います。
>確かにそれは、小回りが利き、会社の利益を上げるのには最善かもしれません。
>しかし得てしてそれは、日本の不調和な町並みに見られるように、
>各自のことだけしか考えなかったため、より大きな誇りを捨て去ってしまうことに
>つながってしまうのではないでしょうか。

この文章、膝を打つ思いで読ませていただきました。
おっしゃる通りだと思います。

今、テレビのニュースを賑わしている保険金疑惑の事件を見て、どのように
お感じになられましたでしょうか?
犯人は過去、保険契約をたくさん取ったということで、何度も表彰されていたとのこと、
どこの保険会社かは知りませんが、
「契約とってきた人はえらい」
「さあ、契約、契約」
「なんだかんだ言っても、大事なのは数字、売上」
「とにかく、何がなんでも売上作れ」
などといった雰囲気の職場であったことは、手に取るように想像できます。
そういう、売上至上主義の企業は、モラルも何もあったものではなく、いかなる手段を
使ってでも数字を作る人間を優遇し、それだけではなく、社員をそのような考え方に
教育します。

その弊害が、
「法律に触れなければ何やってもいい」
「金さえあれば、それで幸せ」
という考え方を蔓延させていくことです。
この企業の理念とは一体何なのでしょうか?
そのエゴイズムの塊のような営業活動を通じて、社会に何をもたらそうというのでしょうか?

今、社会では、多くの企業が倒産したり破綻しています。
悪事を行って潰れたところも数多く見受けられ、路頭に迷った社員をはじめ、
経営陣でさえ、その会社に対してろくなことを言いません。
更に、世間はもっと冷たい見方をしています。
内部の人間に愛想をつかされ、世間からも同情されない会社が、一体何のために存続する
必要があったのでしょうか?
答えはただひとつ。
その会社を左右している人間が、「売上さえよければいい」というエゴイズムを持ち続けて
しまったからではないでしょうか?

このエゴイズムを最優先する考え方は、一見、企業戦士っぽく、骨のある企業人であるかの
ように感じられます。
そのために、企業で上に登りたいという向上心をもつ人は、ついついこのエゴイズムを
最優先事項に採用し、自分の意思決定、行動指針の根底に据え付けます。
「会社のためだ」という大義名分のもと、モラルに反する行為も必要悪として
平然と行われていきます。
「会社のために不祥事を隠す」「会社のために総会屋とつながる」
「会社のためにリベートをつかう」
で結局、そのエゴイズムは露見し、世間から激しい反発を受け、株式市場から見放され、
内部の社員すら愛想をつかし、崩壊していくのです。

敗戦から立ち直った日本は、とにかく経済の再興を図る必要がありました。
そのためには、企業をたくさん育て、活動を拡大させる必要がありました。
そのために、法律も企業に対してやさしいものにしました。
制約をきつくしすぎて企業の成長を妨げないためです。
高度経済成長期、多くの企業は公害を撒き散らし、場合によっては多数の人に
環境汚染などの迷惑を与えてでも活動を拡大しようとしました。
このときに、モーレツ社員などという流行語も生まれ、企業戦士が登場しました。
また、このときに、「売上良ければすべてよし」という日本企業のエゴイズムの多くが
確立しました。
このエゴイズムは、「自分(自分の会社)さえよければいい」という考えを生み出し、
広くその意識は広がっていきました。

で現在、社会は更に成熟していき、この時代の考え方を引きずっている企業(考え方)が
淘汰される筆頭格になってきているように、わたしは思うのです。

たとえていえば、
小学生が、「僕、偉くなる。人の上に立つ人間になる。お金持ちになる。」と言っている
としましょう。
それは、子供が言っていることですから、まだ、ある種のあどけなさと微笑ましさが
あります。
しかし、その子供が30年位たっても、全く同じ事を言い続けていたとしたら
どうでしょう?
「わしは、何がなんでも金が欲しい。金だ、名誉だ、地位だ、きれい事を言うな、
とにかく金がすべてだ、金が最終目標だ!」と言っていたとしたら、周りの人はどう思う
でしょう?
子供が言っている分にはかわいいですが、いい大人が、人生における情、生きる意義などに
ついて考えているはずのいい大人が、いつまでもそんなことを言い続けていたとしたら、
「いいかげんにしろ」と反発されるか、誰からも相手にされなくなることでしょう。
変なたとえになりますが、これが私が、今世間から反発を買っている企業の姿だと思うのです。

>利益とかだけではない基本理念を定めないと、また同じ事の繰り返しになってしまう
>と思ってしまいます。

まったくもって、おっしゃる通りだと思います。
情報流通の手段は、現在、飛躍的に進化しています。
携帯電話、ポケベル、インターネット、Eメール・・・・。
これほど意志疎通の手段が拡大していくと、今まででは考えられなかったような関係、
濃密な関係が生まれてきます。
つまり、今までは単なるビジネスの相手、単なる上司、単なる知人という関係だけだったのが、
これからは、相手の考え方や人生観まで問われ、関係の主要な要素になってくると
思うのです。
つまり、コミュニケーションが深化するということです。
(現に今、わたしはこのページで内面的なお話しをしています)
そういったわけで、情報伝達の発達によって、企業の考え方、ビジョン、理念といった
ことまで、これからは問われる市場が出来てくると思うのです。
わたしは、早くその時代が訪れてくれることを願っています。

長文失礼しました。
以上、個人的意見を書かせていただきました。
お読みいただいてありがとうございます。

●voyager氏の意見

周くん:
西欧と米国とのdrive forceの違いについては、同感するものがあります。
社会的成功の尺度として「お金」を米国人は、ちゅうちょせず認める地盤
が多くみられると思います。たとえばAOLというパソコン通信の会社が
ありますが、AOLの社長の給料は前年度200億円でありました。
社会の行動原理が「個人の経済的利益の追求」である具体例だと自分では
思っております。

上森さん:
「コミュニケーションが深化(する)」とはいい言葉ですね。企業モラルに
ついての考えは大いに同感します。「個人の富の追求」ではなく、「社会
への貢献」というものがdrive forceとなる時代を切に望みます。

ある人物がフェラーリを「お金で買える世界最速のGTカー」と表現していまし
たが、実に的を得た表現だと思います。お金がなければ手に入らない、でも
お金さえ出せば手に入るものとしてほとんどの商品は売られているわけですので。

もしパテックの対価が「休日の海岸でのゴミ拾い1年間」なんていう時代がくる
かどうか分かりませんが、企業のモラルは今後も重視されるべきものと私は
考えています。

このテーマと関連する疑問なのですが、日本の時計メーカー(セイコー、シチズンなど)
の持つ企業理念や時計作りの特徴などご存知の方がいらっしゃれば、お聞かせ
願えればと思います。

GP7000さん:
>シェルマンの店員さんは、気軽に、時計のお話しできますよ。
> この前は、時計は壊れない、壊すとしたら時計屋だ、という含蓄のある
>お話しをおききしました....。

私も非常に含蓄のある言葉と思います。どのような文脈ででてきたのか、
具体的な部分もお話いただけると大変ありがたいのですが。

私の友人に某コンピューターメーカーで開発をしている人間がおりまして、
その友人が以下のような話をしました。
「技術者の戦いは技術との戦いではなく、コストとの戦いである」と。
このことは、実は「物作り」が常に「物売り」の現場を無視できないという
皮肉な話として私は使っています。コンピューターというのはみなさんご存知
のように、2−3年程度をサイクルとして買い替えられるまさに「使い捨て」
商品であります。どう逆立ちしても「一生もの」のパソコンなど作りようが
ありません。その意味では、時計よりかわいそうな物であります。ただし
消費者が自分で「自作」できたり、「カスタマイズ」しやすい環境にあるのは
いい点かも知れません。

●GP7000氏の意見

voyagerさん、どうもです。
シェルマンでは、多くの話題について話し込みました。
最近のブームとして、ダブルネームや、人気商品にならって文字盤を書き換えたり
することがありますね。

シェルマンはWネームものは置きません。ブームに反抗されているのですか?
とおききしたところ、「いや、そんなわけじゃなくてね、Wネームって邪魔でしょう。
時計本来のデザインが損なわれるんですよ。」という答えが帰ってきました。
また、永久カレンダーの機能について、100年先なんて生きてないからなぁと冗談
交じりに言ったところ、しっかりした時計は、まず壊れないものなんですよ。代々
使っていけるものなんです。所有者が壊すことなんて、めったにない、壊すとしたら、
時計屋が預かったときでしょうね、と答えられました。

このお言葉に含蓄がある、というのは、時計の性能のみならず、時計本来の姿まで
いじりまわして『壊してしまう』ことがあるという意味まで含まれているからなのです。

周くんさん、上森さん、まさしく時事対談ですね(?)。含蓄のあるお話、ありがとう
ございます。

voyagerさんの、休日の海岸でのゴミ拾い1年間でパテックが手に入る話には爆笑して
しまいましたが、時計が商品である以上、企業が儲かるためには、純粋に、時計を見つめよう
としたときに、邪魔する要素がたくさん出てきますね。
お金があるからパテック買った人も、車の購入を断念してパテック買った人も、同じもの
を手にします。違いがあるとすれば思い入れだけです。でも、お金ある人の方が、思い入れ
少ないとは限らない。

お金の価値はわかりやすいけれど、利益追求の対極に、こだわりと遊び心があります。
私は、シェアの上では強力な日本の時計企業には、もっともっと、こだわりと遊び心に
重心が傾いているようなモノを作っていただきたいと切に願っています。

●周くんの意見

上森さん、Voyagerさん、Lansingさん、GP7000さん、こんにちわ。
とても、皆様のメッセージを読んでいると勉強になります。
深くて、いったいどこにレスをつけたらいいのか、整理がつかなくてとりとめないまま
書かせて頂きます。

>「わしは、何がなんでも金が欲しい。金だ、名誉だ、地位だ、きれい事を言うな、
>とにかく金がすべてだ、金が最終目標だ!」と言っていたとしたら、周りの人はどう思う
>でしょう?
>子供が言っている分にはかわいいですが、いい大人が、人生における情、生きる意義などに
>ついて考えているはずのいい大人が、いつまでもそんなことを言い続けていたとしたら、
>いいかげんにしろ」と反発されるか、誰からも相手にされなくなることでしょう。
>変なたとえになりますが、これが私が、今世間から反発を買っている企業の姿だと思うので
>す。

上森さんが、こう書かれたのは、本当にその通りだと思います。
すこし状況が違うのですが、よく思うことに、たとえば行列への割り込みや、
電車での席の取り方にも、これとよく似た精神構造が見うけられるのではないでしょうか
自分の欲求と自分の誇りとのどちらを取るかということになるでしょうか?
たぶん上森さんは、電車とか映画館で立っていることが多いのではないでしょうか(笑)

よくこの頃出てくる言葉に、護送船団方式とかありますが、日本企業の経営の考え方は、
戦後からずっと今まで変更なく、発展途上国の方式でやってきたのだと思います。
つまり、社会的リスクをヘッジすることなく、竹槍をもったまま突進するといった
やり方です。これは、この前の日本海の重油流出事故にも見られるように、
そういうリスクにたいしての対策を講じないまま、近代化を進めて来たからです。
当然、そうする事の方が、利益が簡単に出せるし、素晴らしいスピードで発展するでしょう
しかし、もう現在では、ほとんど世界のリーダーとならなければならない時代が来ているのです。
海外から、応分の負担を、と求められている以上に、経済のみならず文化にたいしても、
そして環境にたいしても、利益追求だけではない姿勢が求められているのではないでしょうか?
やはり、私は、誇りというものを大事にする時代が早く来て欲しいです。

●Lansing氏の意見

「光悦」など製品により例外がありますが、アメリカと日本は以前から
言われていたことですね。

僕は、時計を検討する際に機械の内容以外に、ブランドの経営者の
考え、「職人を大切にするか、儲けのみではなく時計に興味が有るの
かなど」を調べます。 この業界は、ブランドの買取が盛ん?なので、
注意が要りますね。

●voyager氏の意見

Lansingさん:
ブランドの買収で思い出しましたが、自動車業界でも先日ロールスロイスが
身売りされ、確か2002年まではフォルクスワーゲンが、その後はBMWが
ロールスロイスブランドで車を生産することで決着がついたようです。
多くの人がロールスは世界最高級の乗用車であったと認めるでしゅうが、
今後もその名声を維持できるかは、未知数ですね。

ブランドとは何か? 価値とは何か? という基本で且つ奥の深い問いに
秋の紅葉でも眺めながら考えてみようと思います。

●周くんの意見

>ブランドの買収で思い出しましたが、自動車業界でも先日ロールスロイスが
>身売りされ、確か2002年まではフォルクスワーゲンが、その後はBMWが
>ロールスロイスブランドで車を生産することで決着がついたようです。

なるほど、そうなったのですか、どうなることかと思っておりました。
voyagerさんが、ブランドとは何か?価値とは何か?と書かれていましたが
面白い命題ですね。そのロールスロイスをとってもたぶん、素晴らしい車が
新たに生み出されるのではないかと、私は思います。
たぶん、ブランドというのはただ単に、名前ではなく、その精神を包括している
ものではないかと考えるからです。人はその精神により、どのようにでも変わります。
名は体を現すという言葉もあるように、ブランドを受け継ぐ、伝統を残す、
そういった気構えがあれば、その名前に引っ張って行ってもらえるのではないでしょうか?

時計の世界でも、ロールスロイスに匹敵するような、ブランパン、ブレゲ、ナルダン、
ショパールなど、これらはそのブランドを受け継いでいったものです。
これらに見られるように、高々、一つの名前ですが、そのブランドにやどる精神は
すごい価値があるのかもしれません。

Lansingさん、こう書いていて、日はまた上ると訳してしまいました(冗談です)
時計のブランドを選ぶ基準に
「職人を大切にしているか、経営者が時計を好きであるか」と書いておりましたね。
これを読んで、ランシングを好きになる気持ちがわかりました。
彼の最終的なブランドであるJBLも、彼が自殺した後、彼を心の底から慕う人たちに
よって復興されるのですが、ここでもそのブランド、つまりランシングの精神ですね、
これが素晴らしく受け継がれるのです。彼は、とても経営がへたで、会社を2度も
つぶすわけですが、そのもの作りは、利益を第一に考えたものではなく、素晴らしい
製品を、素晴らしい音を・・・・・このような考えから生み出されたものでした。
たぶん、私たちが知らないだけで、この日本にも、そういったもの作りをされている方が
たくさんいるのかもしれませんね。
これから、そういった人たちが報われるような環境が出来ていくことを切に望みます。

●中村氏の意見

 Lansingさん見当違いだったらすいません。
「光悦」とありましたが、プレーヤーのカートリッジの「光悦」ですか?
見当違いを前提に、最近の話題とも多少関係しますので、私の光悦について
書かせていただきます。20数年前ですが、カートリッジ(光悦)を個人
(メーカーではなく)で作っている人がおりまして、2〜3回おじゃまして、
作っていただいたことがあります。その方はもと刀鍛冶ということだと記憶
しておりますが、こちらの音の好みやスピーカーに合わせて作るというまさに
ハンドメイドのカートリッジでありました。(今でもご健在なのでしょうか。)
当時の学生身分の私の話を丁寧に聞いていただき、また、職人気質というイメージから
想像されるような気難しい方ではなく、大変穏やかな紳士でありました。
ある意味でものづくりの原点であったような気がいたします。
よく言われるように、情報産業をはじめとするサービス業全盛の時代にあっても
日本はものづくりを捨ててはいけないし、その精神を大事にしていく必要がある
のではないかと思います。
 残念ながら時代の趨勢は、ますます困難な方向に向かっているような気が
しますが、昨日NHKを見ておりましたら、再放送だと思いますが
大手のメーカーが作れない非対称球面レンズ(正確でないかもしれませんが)
の作成に情熱をそそいでいる人が紹介されておりました。その方は、高校の
数学から勉強し直して、球面の計算式をつくり実行されたということで、
まだまだ日本も捨てがたいなと意を強くしたわけであります。
 このような技術や作り手の保護も今後は、社会のなかで自然保護や環境保護
と同じようなレベルで考えていく必要があるのではないのでしょうか。
駄文で申し訳ありません。

●Lansing氏の意見

James Ballow? Lansing に対する思いまで当てて頂けるとは...。
光悦は、世界に誇れる国産品で、今のパテック勝る程の作りです。
先代の製作者に直接会われたとは!、大変貴重な経験をされて
いますね。

●上森氏の意見

To 中村さん:

レコードプレーヤーのカートリッジに「光悦」というものがあり、
それを、もと刀鍛冶の方がハンドメイドで作ってらっしゃるとのこと、
そのカートリッジを中村さんもお使いでらっしゃったとのこと、
恐れ入りました。

オーディオについては並々ならぬご関心をお持ちでらっしゃるのですね。
昔、時計好きの方とお話ししていた時、その方が大変に蓄音機がお好きで、
ヴィンテージ蓄音機の音を聴かせていただいたことがあります。
弦楽器の音の生々しさが特に印象深かったです。
現代のハイまで出ている音響装置には出せない腰のある音だとも感じました。

>残念ながら時代の趨勢は、ますます困難な方向に向かっているような気が
>しますが、昨日NHKを見ておりましたら、再放送だと思いますが
>大手のメーカーが作れない非対称球面レンズ(正確でないかもしれませんが)
>の作成に情熱をそそいでいる人が紹介されておりました。その方は、高校の
>数学から勉強し直して、球面の計算式をつくり実行されたということで、
>まだまだ日本も捨てがたいなと意を強くしたわけであります。

いいお話しを聞かせていただきました。
高校の数学から勉強し直して、という心意気を見習いたいと思います。
まだまだ届きませんが、そのレンズ作りに熱中されている方に近づける覚悟をもって
生活していきたいと思いました。

To 周くん:

>ブランドというのはただ単に、名前ではなく、その精神を包括しているものではないか
>と考えるからです。
>人はその精神により、どのようにでも変わります。
>名は体を現すという言葉もあるように、ブランドを受け継ぐ、伝統を残す、
>そういった気構えがあれば、その名前に引っ張って行ってもらえるのではないでしょうか?

「名付ける」
この行為によってある精神を表わし、そのもとへ求心的に行為の集中が生じ、持続される。
その持続により、他者から認められることになり評価を生み出す。
まことにブランドネームに代表される、名付けるということは重要なことですね。
というよりも、名前が巻き起こしている意味がもっとも重要で、製品はそれを彩る脇役なの
かもしれませんね。
この辺りの、「意味」とか「名付ける」とか「価値」とか「ものの本質」とかいったような
ことは、わたしの最も興味のあるテーマです。
ご意見をお聞きしたいです。
わたしは、「モノより意味の方が、遥かに確固とした存在である」、あるいは、
「世の中には意味しかなく、モノとは意味の或る部分(メモリー)にすぎない」と
思っております。

●周くんの意見

>というよりも、名前が巻き起こしている意味がもっとも重要で、製品はそれを彩る脇役なの
>かもしれませんね。
>わたしは、「モノより意味の方が、遥かに確固とした存在である」、あるいは、
>「世の中には意味しかなく、モノとは意味の或る部分(メモリー)にすぎない」と思って
>おります。

名前って重要ですよね。身近な例ですが、自分の子供の名前を決める時がありますよね、
そういう場合、結構、皆様悩まれると思います。
悪魔くんなどと、付けた親がいましたが、これはもうすごいことです。
人に対していう言葉についても、これはもう、一旦口から離れると、元に戻せないのですよね。
そうして、たった1個の言葉でさえ、一人の人を破滅させたり、救ったり出来るのですから
ほんと、言葉、そしてその意味というのは、すごい力があると思います。

先ほどの、こどもの命名ですが、いろんな姓名判断があって、それぞれになかなかの
意味があるのですが、やはり最大なのは、その意味にたいする拠り所、もしくは
信頼ですね。ポジティブなイメージと言ってもいいでしょうか、
そういういいイメージをずっと持っておくための拠り所ですね、
そうして、それを子供が聞くときも、何回かはあるでしょう、その時のいいイメージの
影響ですね、それらはとても重要ではないかと思います。
ただ、たんなる命名ですが、それをもたせた時の意味は、ただ1つの言葉ではなくなりますね。

●上森氏の意見

ブランドの理念とはどういうものかについて、もう少し考えてみました。

今、ある企業があるとして、そこへインタビューに行って、
「すみません、おたくの会社の理念とは何でしょうか?」
と聞いてみると、どういうことになるでしょう?

恐らく、ほとんどの人が即座に答えられないような気がします。
答えられるとしたら、叩き上げの会社のオーナーくらいではないでしょうか。
あるいは、質問されて困った広報部あたりの人が、会社案内の始めのページに
書いてあるようなこと、
「我社はその活動を通じて社会に貢献し・・・・・・」というような文章から引用して
何かおっしゃるかもしれません。

理念、
事業・計画などの根底にある根本的な考え方は、実際にその企業に携わっている人間は
意外と気づかないで過ごしているものだと思います。
ただ、その目にみえないものは非常に大切であり、その企業が生き続けることができるか
どうかさえ左右すると思います。

>人に対していう言葉についても、これはもう、一旦口から離れると、元に戻せないのですよね。
>そうして、たった1個の言葉でさえ、一人の人を破滅させたり、救ったり出来るのですから
>ほんと、言葉、そしてその意味というのは、すごい力があると思います。

歴史を振り返ってみても、キリストや釈迦の言葉は世界中に大きな影響を与えましたし、
マルクスやレーニンの言葉(著述)によって世界地図は塗り替えられましたからね。

>信頼ですね。ポジティブなイメージと言ってもいいでしょうか、

ポジティブという言葉に反応してしまいました。

最近、横綱やロック歌手の洗脳騒ぎがありましたよね。
あれを見て、どう思われました?

よくサラリーマンが読む本に自己啓発書がありますね。
「前向きに考えろ」「ポジティブに考えろ」「自分に自信をもて」「何度も繰り返せ」・・・
という内容のものです。
とてもいいことを書いているのですが、ただひとつ、
「何でもいい、欲しいものをありありと思い描いて念じ続けろ」というメソッドが
気になります。
なぜかというと、このようなことを言われると、99%の人が
「お金が欲しい、家が欲しい、洋服が欲しい、人から良く思われたい・・・」などといった
自己中心的な目的を思い描くと思うからです。
一番最初に「人々の平和を願う」というような人が何人いるでしょうか?

そうすると、得てして
@自己中心的願望 → A自信を持とうとする → B繰り返しにより自己催眠状態に入る →
Cその状態を「前向きな姿勢」として信じる → D願望実現(あるいは失敗)

という流れが生まれます。
道義的にみて、A〜Dには何の問題もないと思います。
しかし、@に自己中心的願望をもってきては難があります。
人として@に何を持ってくるかが最も重要なことであります。
また、@は自分の意志で決めるべきものであります。
もし、誰かに@を決められてしまったとしたら、それはポジティブシンキングではなく、
「洗脳」です。

繰り返しの威力には底知れないものがあり、広告はその繰り返しの力を利用して発展している
最たる社会的活動です。
ブランドイメージというものも繰り返しによって作られていくと思います。

もし、我々が企業が大規模に行っているこの繰り返しによる広告活動によって、
@を選ぶ自由をコントロールされてしまったとしたら、洗脳されていると言えます。
自分で気づかないうちに雑誌やテレビやその他の媒体で、何度も何度も繰り返されている
から、知らないうちにそのブランドが好きになってしまったというのは、明らかに主体性
のない消費行動といえます。

最近、スーパーラットという害虫駆除剤に強い免疫と耐性をもったネズミが突然変異に
よって出現しているそうです。
消費者も、広告による強い免疫と耐性をもち、独自の主体性を確立した行動をとる日が
近いということを感じます。