●名前 上森 ●登録日時 10/22(日)18:01 パスワード こだわる方向 -------------------------------------------------------------------------------- みなさん、こんばんは。 お久しぶりですね。 お元気ですか? 先日、街道沿いのラーメン屋でラーメンを食べていましたら、 感ずるところがありました。 ラーメンに限らず何でもそうですが、 おいしいものを食べると条件反射的にこう感じるものです。 「材料がいいのかしら?」 たとえば、 スープをとる素材から粉、水、はたまた調理器具までも 超一流品を揃え、それで作ったらおいしいラーメンが できるかもしれない。 当然コストはかかりますが。 でも、それだけの一流品を使っても まずいものもできるかもしれません。 街のラーメン屋さんはきっとコストとうまさのギリギリの せめぎあいを続けて試行錯誤の末に練られたうまさを 引き出していると想像します。 本格的なラーメン作りの経験をもたないわたしが 仮に最高級の素材を与えられたとしても きっと大したものはできないことは容易に想像できます。 とすると、 「料理のうまさは腕によるのか?」 という疑問もわいてきます。 わたしの母親は秋になってリンゴが安く出回るようになると いつもリンゴケーキを焼いてくれます。 これはわたしの大好物で、毎年この季節になると 宅急便で送ってもらい、 「うまいなぁ」と思いながら何個も食べるのです。 しかし、これはおそらく、 リンゴの素材にこだわって、どこどこ産のものを選んで 作っているわけでもなく、粉や砂糖だってスーパーで売ってる ごく普通のものだと思います。 しかし、子供の頃から慣れ親しんだ味は、 他人はどうあれ、自分にはおいしいと思えるのです。 ※こうやって雑談を書いていると  妙に筆(キーボード)がのってきたので更に続けます。 わたしの父親は、料理の ”りょ”の字も知らないくらい キッチンに立ちませんが、小腹が空いたときには インスタントラーメンをひとりで作って食べています。 で、そのインスタントラーメンの作り方がまた変わっていて、 いかにも昭和10年代の人の作り方と想像するのですが、 入れる水の量が異様に少ないのです。 たぶん規定量の半分くらいしか入れてないのではないでしょうか。 で、そうやって作ったラーメンは、 ラーメンでありながらラーメンでない。 ヤキソバ風でありながらヤキソバでない。 というものになります。 スープは非常に濃厚に煮詰まっていて、色も濃いものになっています。 そこに卵を落として食べる。 で、わたしもそれを何度か食べたのですが、 これがまた、不思議に、けっこういけるんですよね。 こういうのは「料理の腕がよい」というのとは 別次元の話しですが、それにしましても、 同じ素材を使っても個人のフィルターを通すことによって ありきたりなものが、個性的で(ある人にとっては)魅力的なものに 変貌する例を目の当たりして、深く感じ入る次第なのです。 よく、手習いする人が道具や素材ばかりいいものを買い集めている のを見て、 「道具や材料じゃないよ。腕だよ」 ということが言われることがよくあります。 料理でもそう言われますし、 車でも、楽器でも、絵画でも、文章書きでも、コンピューターでも、 およそそこに技の介入する分野であれば、必ずといっていいほど この格言があります。 この格言には、 道具道楽の面白さにかまけて、本来の「ものを作る」ということを忘れてしまう ことへの戒めの意味が含まれているのでしょう。 そして、そういう戒めの言葉が広く使われているということは、 いかに人が道具道楽をしてしまいがちかが表れていると思います。 一方、専門にやっているところでは、 「道具にこだわりました」「最高級の素材を使ってます」などなどの 物的なものへのこだわりを表明しているところがよくあります。 不思議なものですね。 結局のところ、 道具や素材というハードウエアーへのこだわりと、 腕というソフトウエアーへの追求、 このふたつがバランスよく活かされているのが 目指すべきところのような気がします。 で、この話しがどういう具合に時計に結びつくかといいますと、 ぜんぜん結びつかないのであります。(笑) すみません。 いえ、先日、 多くの時計好きの方と語り合う機会に恵まれまして、 それが転じて道具談義に発展しまして、 「結局、われわれは道具を求めているのですね」 というような話しで盛り上がったものですから、 ふと以上のようなことを書いてみたくなった次第です。 長々と失礼いたしました。 雑感でした。 もうすっかり秋の気配ですね。 みなさま元気にお過ごしください。 ありがとうございました。 ●名前 エコロ ●登録日時 10/23(月)00:35 パスワード re(2):こだわる方向 -------------------------------------------------------------------------------- 上森さん、お久しぶりです.雁木さん、こんばんは. 最近の私といえば、寒いのは少々(かなり)苦手ですので、 動きがだんだん鈍くなってきております. 道具があまりに悪いと腕があっても上手くいかないことも ありますが、それなりの道具と材料が揃えば、やはり後は 「腕」でしょうね.使いこなせるかどうかが肝心なようです. 「慣れ」というのも大事ですね.使う慣れと使われる慣れ、 「慣れ親しむ」という言葉には、ほんのり温かいものを感じま すね.おふくろの味も似てますでしょうか. ラーメンは、私も昔から上森さんのお父上の作り方です. 学生時代には、それにまたミソラーメンの場合など本物の ミソを入れたり、さらに醤油を加えたり、インスタントラーメン の作り方にはこだわったものでした.一回一回変化があり、それ が楽しくもありました. 私は「道具」として時計を見ますとどうしても使い込めるもの を選んでしまいますが、実用性能ばかりを求めますと自然とその 形が自分なりに決まってしまいます.しかしそれでは面白味が薄れ てしまいますので、これからは「作品」として見る目も持ってみたい と最近は思うようになりました. 作品としての時計は高価なものが多いですが、たとえば汎用ムーブ を工夫して遊んでいるもので作者の創意が入っているものなど 手も出しやすく面白いかなと思います. 秋の夜長といいますが、24時間は変わりませんので、夜更かし してお体、壊されませぬようお気をつけください. (確か夏にも同じことをいったなぁ・・・笑) では失礼します. ●名前 犬山 ●登録日時 10/23(月)15:46 パスワード re(3):こだわる方向 -------------------------------------------------------------------------------- 犬山と申します。 新参者ですが、少しみなさまのお話におじゃまさせてください。 上森さんの 「本来なら己の腕こそこだわるべきなのに、たいていの料理屋は素材や道具のこだわり を喧伝するのみ」というご意見、なるほどと思いました。 言われてみますと、たしかにそうだと思いますね。 まあ、料理人が己の腕を喧伝するのは、柔道や将棋のように、何段というような 客観的評価基準がないので、難しいのでしょうが、おかしな話ではありますね。 では、時計に対する場合はどうなるのでしょうか。 ムーブメントと材質が素材で、デザインは腕かな? (個人的なことですが、私は某メーカの時計をムーブの優秀さは理解しつつも、 どうしてもデザインが好きになれないので、やはり欲しくないというのが この例だなぁ、と思います) 少し話がとびますが、道具としての時計、究極的にはそうですよね。 ただ、現在の機械式時計は時間計測の道具という観点からは、だいぶ 不自由な道具ではありますね。 道具としての価値以外のものが、90%くらいはありそうな気がします。 ただ、腕時計は時計としての基本線をはずしてはいけない、という考えは、私も 賛成で、やっぱり普段なにげなく使用できるものがいいなぁ、と思っております。 なんだかとりとめがないので、このへんでやめておきます。 ●名前 おっさん ●登録日時 10/29(日)01:15 パスワード re(1):こだわる方向 -------------------------------------------------------------------------------- おっさんです。 > おいしいものを食べると条件反射的にこう感じるものです。 > 「材料がいいのかしら?」 素材や道具の差は最後のひと押しだと思います。プロどうしの勝負において (料理ではあまりありませんが、たとえば自動車レースなどは勝敗を競うことが 普通です)、10対10の引き分けになった時、最後の0.1を稼ぐものが道具の差と なって現れるのではないでしょうか。たった0.1の差でも勝ちは勝ちですから、 それに備えて最高の道具を求めるのだと思います。 したがって、素人がプロと同じ道具を持ったとしても、1対10が1.1対10に なるだけで、はなから勝負になりません。あくまで、基本的な腕が10に到達 して初めて意味を持つのだと思います。 > こういうのは「料理の腕がよい」というのとは > 別次元の話しですが、それにしましても、 > 同じ素材を使っても個人のフィルターを通すことによって > ありきたりなものが、個性的で(ある人にとっては)魅力的なものに > 変貌する例を目の当たりして、深く感じ入る次第なのです。 子供の時に何を食べていたかで味の嗜好が決まるというのは料理に限ったこと ではありません。例えば音もそうです。真空管のステレオが好きな人は今なら 50か60才以上の方だと思いますが、これは子供の時真空管ラジオで育った からだというのが私の持論です。私はそれより少し若いのでトランジスタアンプの 音がやっぱり心地よいわけです。今の若い人々(20代以下?)は、ICアンプで 育っているはずですから、その音がいいのかもしれません。真空管、トランジスタ、 ICとそれぞれ音の特徴が違っていて、どれが心地よいかは自分がどれで育ったか によるということです。 あと匂いにいたっては、過去の経験と必ずワンセットになるそうです。たとえば バラの香りを、たまたま辛い時に嗅いだりすると不快な匂いとして登録されて しまうそうです。つまりまったく同じバラの香りを嗅いでみて、心地よく思う 人と不快に思う人がいるというわけです。 > 道具道楽の面白さにかまけて、本来の「ものを作る」ということを忘れてしまう > ことへの戒めの意味が含まれているのでしょう。 > そして、そういう戒めの言葉が広く使われているということは、 > いかに人が道具道楽をしてしまいがちかが表れていると思います。 これは、趣味にはそれを行うという方法と道具に凝るという方法の2つ(あるいは 両方)があるということだと思います。道具ばかり集めてまったく使わないと いうのはプロなら失格ですが、趣味ならばりっぱな趣味として通用すると私は 思います。もっとも、道具達にとってはたいへんな不幸だと思いますが。 > 「結局、われわれは道具を求めているのですね」 時計は時を知る道具ですが、金槌やノコギリと違って何かをつくり出す道具では ありません。今のように時間を知る手段が一杯ある状況では、もはや道具としての 役割はほとんどないような気もします。こじあけやドライバーはりっぱな道具 ですが、それにこだわるという方はプロだけで、こじあけを沢山集めている趣味人は まずいないでしょう。 そうなると、時計というのは完成品だけを楽しむものということになるのでしょうか? いや、違いますね。服や状況に合わせるとか、自分色に染めるとか、買ってからの 過程が勝負なのかもしれません。時計の使いこなしのプロという職業はないと 思いますので、それこそあまり道具にこだわらず(この場合、オーバーホールや バフがけのことか??)、好きにやればいいのではないでしょうか。 なぜかきれいにまとまったところで、お後がよろしいようで…