●名前 まこと ●登録日時 10/03(火)14:06 パスワード 時計との出会い−露店にて− -------------------------------------------------------------------------------- みなさんこんにちは、まことです。  私がいつも使っている地下鉄の駅では月に1〜2回露店のような物が出ます。 そしてそのうち年に3〜4回は時計が売りに出されます。 中心価格帯は2000円といったところでしょうか。 家路に急ぐ人たちやちょっと時間が遅いとホロ良い加減の親父さん達が半ば冷や かしで露店を覗いてゆきます。  露店に時計が並んだときは私も必ず覗いてゆきます。微妙に品揃えは変えてい るようですが毎回似たような時計達が裸電球に照らされて自分のご主人となる人 を待っているようです。ドレスタイプあり、スポーツタイプあり、アーミー風の ものやアニメのキャラをかたどったものなどチープだけれども可愛い時計達です。  私は乗り換えの途中なので次の電車が来る5〜10分位立ち寄るのですが、そ の短い間にも時計と人のドラマをかいま見ることができます。  たとえばあるときはご機嫌に酔った50代の男性が店番の若者に「うちのババ ア(たぶん奥さん)にやりたいんだけど、お兄ちゃん選んでくれるかい。」と活 字にすると荒っぽく感じられるかもしれませんが、多分に照れ混じりのニュアン スで聞いています。 このようなときは「あーこの人は奥さんのことを大切にしているんだなあ。」 「俺もたまにはなにかしてやらないといけないのかなあ。」と次に乗った電車の 中で感慨に耽る次第です。  またあるときはパート帰りといった感じの40代半ばの女性が時計を覗いてい る私に向かってふたつの時計を見せて「どっちがよいと思います?」と質問をし てきました。彼女が手にしている時計はカルチェのサントス風の同じデザインの 時計でひとつが白文字盤、もうひとつが黒文字盤のものでした。私は暫くふたつ を見比べて白文字盤の方を指さして「こちらですかねぇ。」と答えました。する と彼女は「どうしてそう思ったのですか?」と聞いてきます。私は「こっちの方 が上品に見えるからです。」と感じたままの印象を口にしました。彼女は納得し たように笑顔で「選んでくれてありがとうございました。」といい、その時計を 求めてゆきました。その時の涼しげな目元が綺麗に感じられ、またも帰りの電車 の中であのとき「きっとよくお似合いですよ。とつけ加えてあげればよかったか なぁ。」とか「でもそれほど高価でない時計をよくお似合いというのも失礼かも なぁ。」などくだらないことをとつらつらと考えてしまいました。 やっぱり男ってばかですねぇ・・・・・ ところで私がこの露店で狙っている時計がふたつありまして、ひとつはカフスボ タンにクォーツの時計が組み込まれているもの、セットで5000円也と身長5 Cm程のシルバーのロボットのおなかに丸形の時計が組み込まれているもの35 00円也です。いつも買おうかと思うのですが、乗り換えの時間が迫っていたり、 お小遣いが残り少なくなっていたり、と諸事情により購入に至っておりません。 ●名前 junjun ●登録日時 10/03(火)17:14 パスワード re(1):時計との出会い−露店にて− -------------------------------------------------------------------------------- こんにちは。初めまして。まことさんのお話、 楽しく読ませていただきました。 値段に関わらず、小さな時計に込められる 想い、そしてこれからいろんな想いが込め られるだろうことを想像すると、高級時計だ けが時計じゃないよねーって、ホント思いま す。 時計を介して、いろんな人に出会うのは楽し いですね?人、人の想い、人との出来事、 出会い、そういうことを抜きにしたら、きっと私 は時計という物体に、さほど興味をもつことは なかったと思います。いろんな品物があるけ れど、その品物がその品物を大切に想う人に とって、けっしてただの品物でなくて、物以上 のものになり、たとえ大量生産されたものでも、 苦しいときや楽しいときを共にして、使い込ん でいるうちに、いろんな思いも込められて、こ の世にたった一つの特別なもの、個性を持っ て、そこに表情や人格までも感じるようになっ たりして。 ところで、小さいロボットのオナカに時計が組 み込まれているもの、私もほしくて、雑貨屋さ んとかで、たまに探しています。腕とか動くん ですよね。あれはむっちゃかわいいです。多 分、ロボットくんも「買ってくれよぉ〜」って言っ てます。 ●名前 まこと ●登録日時 10/06(金)13:16 パスワード re(2):時計との出会い−露店にて− -------------------------------------------------------------------------------- はじめましてjunjunさん。 楽しいお返事ありがとうございます。 >いろんな品物があるけれど、その品物がその品物を大切に想う人にとって、 >けっしてただの品物でなくて、物以上のものになり、たとえ大量生産された >ものでも、苦しいときや楽しいときを共にして、使い込んでいるうちに、い >ろんな思いも込められて、この世にたった一つの特別なもの、個性を持って、 >そこに表情や人格までも感じるようになったりして。  私も10年ほど前母の日に贈った時計を今でも母が大切に使ってくれている のを見るととても嬉しくなります。そして年に2,3回実家に帰る度にその時 計をみせて「この10年間の間に1回修理しただけでこの時計はよく動いてく れる。」といってくれます。現役を退いた父と母は近所に畑を購入し悠々自適 の暮らしを送っており、経済的には少々のブランド時計なら購入できるはずな のですがそうもせず、以前から愛用している物を大切にしています。そういう 両親を見るにつけ自分のものとの関わり方を反省されられます。  junjunさんがおっしゃっているように、今私が使っている時計も「こ の世にたった一つの特別なもの、個性を持って、そこに表情や人格までも感じ られるもの」に育んでゆきたいと思う今日この頃です。 ●名前 junjun ●登録日時 10/06(金)18:22 パスワード re(3):時計との出会い−露店にて− -------------------------------------------------------------------------------- たった一つの物でも、それにいろんな思いが 込められていて、それを大切にしている人。 なんてすてきなことだろうと思います。すてき なのはきっと、その時計というよりもむしろ、人 なのでしょうね。他のどんな高価な時計より、 まことさんが贈ったその時計、お母さんにとっ て大切なものであるはず。そして、何より、まこ とさんの想いこそ、大切なものなのでしょう。 心あたたまるお話、本当にありがとうございまし た。 時計に限らず持ち物って、なんだか成長して ゆくように感じます。私は、傷のない時計より も、自分がつけていて傷だらけにしてしまった 時計の方が愛着も大きなものになっていて、 ”こんな傷がなければいいのになぁ”とは思い ません。新品のものは新品のよさがあるけれ ど、人が使い込んだものには新品にはあり得 ないよさがあると思います。物は人と一緒に 成長しているのかもしれません。たとえ、いろ んな機能が老朽化してきても、歳を重ねるごと に、若さと違う、その時ごとのよさのようなもの が、傷の数だけ、物にも人にも刻まれてゆく、 そんな気がします。 ●名前 上森 ●登録日時 10/23(月)19:09 パスワード re(4):時計との出会い−露店にて− -------------------------------------------------------------------------------- みなさん、こんばんは。 お元気ですか? まことさん、junjunさん、こんばんは。 いつもお世話になっています。 素晴らしいお話をありがとうございました。 コメント、遅くなってしまいましたが 書かせてください。 まことさん、 > 私がいつも使っている地下鉄の駅では月に1〜2回露店のような物が出ます。 > そしてそのうち年に3〜4回は時計が売りに出されます。 > 中心価格帯は2000円といったところでしょうか。 > 家路に急ぐ人たちやちょっと時間が遅いと > ホロ良い加減の親父さん達が半ば冷やかしで露店を覗いてゆきます。 露店というのもまたおつなものですね。 なんとなく郷愁を感じさせるものがあると思います。 この季節ですと甘栗のよい香りを漂わせている露店などが でてきますが、そういうシーンに出会いますと、 次のような情景が目に浮かんできます。 <以下はフィクション> 場所は早稲田。 学生の街。 季節は晩秋。 <登場人物> 青年: 本宮誠一 スタイル:チェックのシャツ、ジーンズ      時計はオリスの革バンドつき 彼女: 堀越まゆみ スタイル:白いセーター、紺のスカート      時計はセイコーエクセリーヌ 本宮は文学好きで、脚本家になるのを夢見る青年なのだった。 堀越はそんな本宮に恋心を抱く可憐な少女なのだった。 土曜日の夕方。 ふたりはデート。 本宮:いやぁ、今日の劇は楽しかったね。    脚本が素晴らしかったと思うなぁ・・・。 堀越:そう?    わたし、ぜんぜん意味がわからなかったけど・・・、    でも楽しかった。 本宮:なんだかお腹が空いちゃったなぁ。 堀越:あそこで甘栗売ってるから買って食べようか? 本宮:いいね。 堀越:(露天商から甘栗を買い、歩きながら剥きはじめる) 堀越:はい、剥けたわよ。    あーんして。 本宮:あーん。 ※ カメラ   堀越の左手のエクセリーヌをクローズアップ ※ そのまま二人は仲良さそうに夕陽に向かって歩いていく ※ カメラ   二人の後姿が見えなくなるまでロングショット おわり。 すみません、 見るに耐えないシーンでしたね。(笑) 失礼しました。 とまあ、そういうわけで、 露店というのはおつなものだと思う次第です。 > たとえばあるときはご機嫌に酔った50代の男性が店番の若者に > 「うちのババア(たぶん奥さん)にやりたいんだけど、 > お兄ちゃん選んでくれるかい。」と活字にすると荒っぽく感じられる > かもしれませんが、多分に照れ混じりのニュアンスで聞いています。 いやいやまったく、 いいものですね。 時計とは本来、こういうふうにプレゼントしたりして。 で、もらった方もブランドとか値段とかを詮索することなく愛用する。 こういう楽しみのあるものだと思います。 junjunさん、 > 時計に限らず持ち物って、 > なんだか成長してゆくように感じます。 > 私は、傷のない時計よりも、 > 自分がつけていて傷だらけにしてしまった時計の方が > 愛着も大きなものになっていて、 > ”こんな傷がなければいいのになぁ”とは思いません。 おっしゃる通りだと思います。 わたしももちろん、故意に傷をつけたりはしませんが、 自然につく傷は気になりません。 むしろこう思っています。 「腕白でもいい、たくましく育ってほしい」 と。 やはり人間でもそうですが、過保護というのは いただけないと思います。 過保護は逆に、親にも子供にも悪い影響を もたらしてしまうのではないでしょうか。 不思議なもので時計趣味も高まってきますと、 「この時計、傷がついて気になります」 という話しはよく聞きますが、 「この時計、酷使しすぎて壊れてしまいました」 という話しはほとんど聞きません。 時計が好きなんだから、酷使しすぎて使い潰すくらいの 例があってもよさそうに思うのですが、 寡聞にして聞いたことがありません。 一方、時計が好きでもなんでもない人が、 クォーツ時計を 20年くらいオーバーホールもしないで 使いつづけて修理不可能になってしまった例というのは 比較的よく耳にします。 さて、それではなぜ時計好きが腫れ物にさわるように 時計に接してしまうのかと考えてみますと、 きっと、 「その時計を、好きになり過ぎるから」ではなかろうかと 推論いたします。 好きになり過ぎた人はいつも永遠を求めるものだと思います。 今が幸せというだけでは物足りない。 永遠に幸せであり続けたい・・・。 安定が欲しい・・・。 そう切に願うがゆえに完璧な状態を崩すことに 不安を感じるのではなかろうか? そんなふうに思います。 でも、将来の安定を重要視するあまり 今がストレスの多いものになってしまっては なんにもなりません。 それにまた、 時計が老朽化するのよりも遥かに早いスピードで 自分が老朽化しているという事実も 見逃せないことだと思います。 とすると、 今この瞬間を、時計を使い潰すような気持ちで過ごす。 これもまた美しいスタイルなのではなかろうか? などと思います。 ジミーヘンドリックスはライブでギターを 燃やしてしまいましたが、 そういう美学というのは、耐久性とか信頼性を重要視する 時計趣味の対極に位置するのではないでしょうか。 久しぶりの投稿で長話してしまいました。 失礼しました。 楽しいお書き込みをありがとうございました。 またのお越しをお待ちしています。 ●名前 まこと ●登録日時 10/24(火)13:30 パスワード re(5):時計との出会い−露店にて− -------------------------------------------------------------------------------- 上森さんこんにちは、まことです。 >この季節ですと甘栗のよい香りを漂わせている露店などがでてきますが、 >そういうシーンに出会いますと、次のような情景が目に浮かんできます。  甘栗の出てくるシチュエーション、目に浮かぶようです。主人公のつけ ている時計がオリスの皮バンドというのが良いですね。いつもながら上森 さんの時計と人との関わり、時計のある風景をテーマにした含蓄のあるお 話、感心しながら楽しく読まさせていただいております。 >時計が老朽化するのよりも遥かに早いスピードで自分が老朽化している >という事実も見逃せないことだと思います。  本当にそうですね。自分の持っている時計のすべてが天寿を全うするま で使い切るのにどれくらいの時間がかかるのか想像もできません。  私も現在では普段使いの時計とハレの日用のそれと分けて使っていいま すが、時計をひとつしか持っていなかった(持てなかった)頃は当たり前 のことですがどんなときでもそのひとつの時計で過ごしていました。まさ に「いつも一緒」の状態でした。しばらくしてドレスウォッチとスポーツ タイプの2本を所有していた頃が丁度良い使い分けができていたように思 います。それが時計好きが高じて何本かの時計を所有するようになると、 これは夏場のカジュアル用にとか、これは秋冬のフォーマルな席にとか、 この思い入れがある一本は自分のラッキーウォッチだから大切なイベント がある日にとか、海外旅行に行くときはトラブルにあいたくないのでチー プで使い古した物にしよう、などという訳の分からない細分化を自分の中 でしてしまってそれぞれの時計の役割を決めてしまっている状態です。  なにか時計を自分の子供にたとえると(ちょっと大げさなたとえですが) 子供の可能性の芽を摘み取ってしまっているような・・・時計達に申し訳 なく思ったりもします。  ひとつの時計を選び抜いて購入し、その一本をどんなときでもつけていた、 本当にその時計が自分の身体の一部になっていたような若かりし頃の自分を 懐かしく思ったりしてしまうのも秋風のせいでしょうか。(苦笑)