●名前 匿名希望 ●登録日時 11/12(日)18:12 パスワード re(1):削除の基準 -------------------------------------------------------------------------------- 削除の基準 >同一人物が複数のハンドルネームを使用して、読者の混乱につながると当方が >判断した場合 に該当しないといえますか? 雁木さん=manufactureさんですよね。 あなたの発言がもとで、当掲示板を不当に追われた時計愛好家の方がおられるのを 御存じではありませんか? ●名前 上森 ●登録日時 11/13(月)00:29 パスワード re(2):削除の基準 -------------------------------------------------------------------------------- みなさま、こんばんは。 いつもカフェテリアにお集まりいただき、 誠にありがとうございます。 さて、この度、当掲示板のルールを明文化したページを 設けさせていただきました。 設置するにあたりましては、 ルールって何だろう? それにはどんな意味があるのだろう? と疑問に思いました。 ここで、感想を述べさせていただければと思います。 ルールというのは、ちょっと考えてみますと、 予測される、あるいは、すでに起こった 行為を想定(吟味)して、それに対する 対処法を決めておくというやり方。 であるように感じます。 しかし、どこの世界でもそうですが、 ルールというものは、 理に長けた人からすれば、 その気になれば、いくらでも曲解できますし、 また濫用することもできます。 それゆえに、 有って無きがごとし。 ということになり、 さまざまな矛盾を生んだりいたします。 これはつまり、 規則をどうにかして、自分の主張に沿ったものに 解釈したいという自己の内面からのバイアス によるものに他なりません。 つまり、 意識するしないに関わらず、 利己的でありたい。 という、誰しもが持ちがちなバイアスです。 したがいまして、 利己的な心理が多く働いている世界では、 曲解・濫用の可能性を少しでもへらすために、 ルールは、より厳密に、厳格にする必要がある。 というのは一理があると思います。 最近、少年法がより厳しくなることに決まったそうですが、 これは、 少年が、法の精神を曲解・濫用して、 少年だったら何をやっても許される(したがって、何をやってもいい) と、良心の片鱗も見られない利己的極まる心理に陥り、 凶悪犯罪を起こした例が増加し、 それを世間が忌々しき問題として大きく取り上げ、 「法の強化を」との世論がたかまり、 現実に法が強化されたのだと思いました。 しかし、先ほども述べさせていただきました通り、 これも、 曲解しようと思えばいくらでも拡大解釈できるのでは? との疑問が残ると思います。 たとえ処罰対象の年齢が下がったとしても、 依然として、 「その年齢に達しなければ何をやってもいい」 という利己的解釈は、少なくとも理屈では成り立つはずです。 そして、また 少年犯罪が更に低年齢化してゆくとすれば、 何のための法の強化か? などとも思います。 つまるところ、 その世界の人々のモラルと云いましょうか、 そういったものが向上しない限り、 いくら厳密な規則を作ったとしても 意味を成し難いのではなかろうか? そんなふうに思いました。 ところで、一方では、 一言だけのルールで。 いえ、これはルールというよりも スピリットだと思うのですが、 「紳士であれ」 ですべて片付くこともあるのではないかと思います。 わたしとしましては、個人的に これこそヒューマニスティックな考え方であり、 わずらわしいすべての規則や それにまつわるごたごたを排斥するだけの 意味をもっていると感じます。 またこれは、 社会の成員ひとりひとりが本来、 利己的なものに支配されきっているのではなく、 自らに由来して利己的な意識を断ち切るという 自制能力を備えていると期待するからこそ 生まれる考え方だと思います。 したがいまして、 ・より厳密なルールを設定するのは  社会の成員が本来利己的であることを想定し、  にもかかわらず社会的な秩序を保つため であり、 ・厳密なルールを設定しようとせず、  個人的ポリシーにゆだねるのは、  ひとりひとりが紳士的である  (正義を重んじる、良心的である、利他的である)  と期待するから であると思うのです。 以上の考察から、 わたしは個人的に、掲示板という実社会に比べると 小さなコミュニティーにおきましても、 厳密なルールを作るのはヒューマニズムに反する面をもっている。 と感じています。 ネットは自由でありたい。 と思うのですが、 それでは自由とは何かと考えると、 自由とは、自らに由来すること。 つまり、 自らが決められたルールに影響されて仕方なくそれに従うのではなく、 自らが自発的に自制的な立法を打ち立てることに 他ならないと考えます。 ところで、 わたくしもネット掲示板に数年間、深く関わってまいりましたが、 最近感じることがあります。 それは、次のようなことです。 数年前ですと、こう言っては御幣があるかもしれませんが(わたしも含めまして) 非常に些細なことで大きな喧嘩に発展し、 見るに絶えない様相を呈することが 比較的よくあったと記憶しているのですが、 当事者の方々、あるいはROMの方々もそういった苦い経験をされて だんだん、以前よりも、些細なことによる喧嘩が減ってきているように 個人的には思うのですが、 みなさんはいかがお感じになられますか? これはきっと、 ネットを利用する人々が、より高度に利用するようになり、 ネットをコミュニケーションツールとして、よりヒューマニスティックに 使いこなすようになった、ということを表しているように思います。 というわけで、 このたびは暫定的にルールを表示させていただきましたが、 本来はこういうものは無しで会話をするのが 望ましいと思っていますので、時期をみて取り外したいと考える 今日この頃でございます。 さて、最後に蛇足になりますが、 投稿の削除についてお知らせいたします。 今回に限らず、表面的に見えます削除の大半は、 投稿された方ご自身で行っていらっしゃり、 こちらで遺憾ながら削除させていただくことは、稀でございます。 また、いまこのトピックスで話題になっていらっしゃる方は、 失礼ながらお察しいたしますに、大変ウイットに富んだ知性的な面を 多分にお持ちでいらっしゃり、わたくしも勉強させていただくことが多いです。 願わくば、また楽しいお話しができますことを望んでいます。 今、このトピックスの返信を投稿しようとしたところ、 トピックスのルートが削除されていました。 ご自身のご判断と拝察いたします。 よって、この件に関しましては、これ以上の個人を対象とした論に発展する 意義はないのではなかろうかと思います。 以上、長々と書かせていただきました。 失礼いたしました。 みなさまからのご意見をお待ちしています。 そしてまた、楽しいお話しができますことを 心よりお祈りしています。 ありがとうございました。