●名前 上森 ●登録日時 11/18(土)08:06 パスワード re(1):時計の話題でなくてすみません。 -------------------------------------------------------------------------------- みなさん、おはようございます。 久 智行さん、おはようございます。 大変参考になるご意見をいただきまして、 心より感謝いたします。 > 1001118000528のG氏の寄稿に対し、 > 多くの反論(とまでも言えない程、単純な感情の発露も)有ったようですが、 > 管理者(または寄稿者当人かのいずれか分かりませんが)によって、 > 削除されたようです。 ご説明させていただきます。 ”反論とまでも言えない程、単純な感情の発露”とわたくしが感じました 投稿につきましては削除させていただきました。 が、今回、わたくしへのご指摘 (深く考えさせられる、身につまされるご意見でした) につきましては、削除しませんでした。 が、後に、投稿された方ご自身で削除されたとお察ししています。 > しかし、どこまでを情報と言い、どこまでを意見と言うか、の問題も有ります。 > 個人にとっては、他人の意見は情報には成り得ない事も多いのですが、 > (例えば、この時計が好きとかの個人的意見) > その記述に、多くのデータが含まれて場合は、情報と成り得ます。 > さらに言うならば、業者の方々にとっては、個人の好みであっても、 > 市場調査の役割を果たすかもしれず、それ自体が情報と成るかもしれません。 おっしゃる通りだと思います。 それにつきまして、わたくしは次のように考えています。 掲示板は、多くの人々が集まって語り合う場所ですが、 人が語り合うときには、なにかしらのテーマがあると思います。 そこで、掲示板という場所におけるテーマについて考えてみますと、 ・テーマを限定するのがよいか? ・しないのがよいか? という問題が出てくると思います。 今ここで、 テーマを限定する、ということに仮定して話しをすすめますと、 たとえば、この掲示板は次のような注意事項を掲げると思います。 ”機械時計のことについてだけお話しください” これは、つまり、 ”ハードウエアーについてだけ語り合う” ということでありますので、かなり専門的な雰囲気になると思います。 また、専らハードウエアーの専門知識を扱う学校的な雰囲気に なるのではないかと思います。 それゆえに、どちらかというと、 ”情報源”的な印象が色濃くなると想像します。 もちろん、こういった掲示板は時計に限らず広く存在しており、 非常に役立つ情報源になっているのではないでしょうか。 あるいは、 ”製品レポート的なことだけをお話しください” という限定の仕方もあると思います。 ユーザーが使ったモデルについてだけ、感想を語りあうとすれば、 これもまた、とても役に立つ情報源になるように思います。 わたしは個人的に、今後はもっとこういう掲示板ができればいいのになと 思っています。 とはいえ、そうなりますと、 ハードウエアー以外の話しをすると”場違い”ということになりますので、 あまり、いわゆる、パーソナルな会話や個人の心情などは、 話し難いムードになるのではないでしょうか。 もっとも、掲示板としてそれ(ハードウエア情報交換)を 目的としているのであれば、それはそれで素晴らしいことだと思います。 次に、 ”テーマを限定しない、何を書いてもいい” ということになったとしたら、どうなるでしょう。 これは、テーマを限定するよりも 遥かにやりにくい掲示板になってしまうのではないでしょうか。 ”何を書きこんでもいい(何を言ってもいい)”ということは、 何も言えないのと同じようなものである、 とも思うのですが、 そういう具合に、 ”なんでもあり”、というのはあまりよい方向には向かないのでは なかろうかと個人的には思います。 そして、 当掲示板のテーマについてお話しさせていただきますと、 当掲示板は、設置した当初は、 前述しました、 ”ハードウエアーに特化した情報交換の場” にするつもりだったのでした。 そして、わたしもそのつもりで参加していたのですが、 だんだん、心情的な面での書きこみを行うようになったのでした。 そしてそれを楽しむようになったのでした。 時計、わけても、”機械式時計を求める”という意識の根底には、 きっと、何か心情的なものがあるに違いない、 (少なくとも自分はそうだ)という気持ちが、 いつも心の片隅にあったので、それを正直に書いてみたのです。 たとえば、 時計に向かい合いますと、自問するのです。 「なぜ、自分は時計を求めるのだろう?」と。 そして、次のように考えるのです。 ステイタス性か? 知的好奇心か? 向上心からか? 所有欲からか? それとも、他の理由があるのか? それとも、理由などないのか? ・・・・などなど、 そして、今でもそれがよくわからないのであります。 で、当掲示板を設置する前までは、 そういうことを考えているのは自分だけかと思っていました、 きっと、少数派だと思っていました。 しかし、 おそるおそる自分の気持ちを書いてみると、 自分が予測していたよりも遥かにたくさんの方々から ご返信をいただけ、”同感”と言っていただけたのでした。 これはとても大きな喜びでした。 考えてみますと、 現実社会(ネット社会と区別してそう呼びます)では、 なかなか心情というのは、 語れるものではないと思います。 まず、気後れしますし、場違いであることを恐れますし、 ある種の気恥ずかしさというものがあると思うのです。 でも、そういうことも安心して言える場所があったとすれば、 それは存在意義があるのではないか? などと思ったのでした。 そして、 ならば、 ハードウエアーから出た心情。 語るのは楽しい。 何もハードウエアーに特化した情報に限定することもない、 と思いまして、自ら時計話しから逸脱した会話を行うように なった次第です。 気持ちの上では、 ちょうど何かの縁で時計が好きな人がカフェや酒場に集まって、 もちろん時計の話しに花が咲いて、 でも、それ以外にも、趣味の話し、人生論、個人的なポリシー、 そういったことについても大いに語り合う。 こんな場所が実現できればいいなと思い、 それが当掲示板の理念として提唱させていただいていることです。 ですので、 テーマの境界線がとてもファジーになっていることは、 わたしもよく感じています。 それゆえに、 もし、それがみなさまの混乱につながってしまっているとすれば、 ましてや、それが喧騒の種になってしまっているとすれば、 これはよい方向性とは言えないと思いますので、 あらためて考え直す必要があると個人的には思っています。 > ところで、初期には管理者と思われる上森氏の書き込み > 小生も楽しませて頂きました)が多く、 > また、寄稿者に対して、上森氏の返信も頻繁に認められていました。 > 但し、当時から(上森氏ご自身によってすら)必ずしも、 > 時計に関する話題ばかりでは無かったようです。 はい、おっしゃる通りだと思います。 そしてそれは、今述べさせていただいた気持ちによるものです。 > ところが、最近は、上森氏の登場が少なく > (今回のトラブルの後には、登場されましたが)、 > 掲示板の管理というよりは、自由な討論を見守っていた、 > もしくは、放任していた、ようです。 はい、ご指摘の通りだと思います。 ただ、「放任」という気持ちはございません。 少なくとも、 ”放任”という言葉の響きにはどこかしら (そうとも言えないかもしれませんが) 無責任で見下ろしたようなニュアンスを感じさせることがある、 と感じるのですが、そういった気持ちは全くありません。 とはいえ、 ご指摘をいただきまして、 わたくしにも反省しなければならない点があったと 心当たります。 この場を借りまして、みなさまにもお詫び申し上げます。 > そのような場においては、登場頻度の多い方が、 > その掲示板の流れを作っていくのも自然であったと思います。 > ペースメーカーが交代したような状況でした。 > 確かに、雁木氏の発言は、時計に直接関係の無い事が > 多かったかもしれませんが、 > これは、上に述べましたように、管理者当人も必ずしも、 > 時計に直接関係する事ばかりを述べていた訳ではありません。 > 話題提供という意味からいうならば、管理者が、 > 少し時計から踏み外す事もあるでしょうし、また、 > 事実上のペースメーカーとなられていた雁木氏が、 > 話題提供されたのも、あながち批判出来ないように思います。 おっしゃる通りだと思います。 > さて一方、もし、ここで雁木氏の仰るように、 > 全く、突然、発言を削除されたのでしたら、 > 誰でも、やはり、削除の基準とは何か? > との疑念が湧くと思います。 > 確かに、内容によっては、 > 報告無く削除させていただくことがあります、 > とは書いておられますが、 > しかし、掲示板の紳士的な利用 >(これを勧めておられる方がいらっしゃいました)を考えるならば、 > やはり、管理者も紳士的な対応をすべきであったと思います。 削除におきまして、 事前、事後報告なしに行うというのには、 次のような気持ちがあります。 まず、 人の考えというのは、全く、ひとそれぞれでございます。 たとえば、 「この時計は良いが、他の時計はぜんぜん価値が無い」 という方もいらっしゃることでしょう。 時計よりもっと広い分野で考えてみますと、 「人生は辛いことばかり」という人も、「人生は素晴らしい」という人も 「人を信じてはいけない」という人も、「人は信じるものである」 という人もいらっしゃることでしょう。 このように、 人の考えは千差万別でございます。 しかし、また、 人は考えの違いによって摩擦を起こすものだと思います。 時計のムーブメントをみてもわかりますが、 摩擦というものは、いったん生じると、 それは簡単に大きくなり、やがては周囲に重大なダメージを 及ぼします。 くしくも、優れた時計は、 筋の違う多数のパーツの寄せ集めでありながらも、 極限的に摩擦をなくしてなめらかに動きつづけています。 ”摩擦を減らして調和を保つ”ことは、 かように重要なことなのであります。 摩擦を減らしていつまでも調和を保っているからこそ、 優れた時計として稀少であり、貴重なのであります。 現実社会でも、この例に似て、 小さな例から大きな例まで、 摩擦による重大なダメージが起こっているということは、 いくらでも挙げることができると思います。 ましてや、掲示板では、 文字だけでのコミュニケーションです。 実際に相手が目の前にいるわけではないですし、 その前に、 自分が一人の相手と話ししているのか 複数の相手と話ししているのかすらわかりません。 また、 深夜に自分一人だけの時間であれば、 なおさら、気持ちも高まるに違いないと思います。 そういう不安定な状況であることを鑑みると、 掲示板は、現実社会以上に、摩擦が起こりやすいと いえるでしょう。 ひとたび、摩擦による緊張状態に陥ると (実生活で、わたしもしばしばそうなるのですが) 激しい感情のぶつかり合いが生じ、 これはなかなか止められないと思います。 しかし、 管理者として、また、一時計好きとして考えますと、 掲示板を、摩擦の場、ダメージの与え合いの場、弾劾の場、 つまり、戦いの場にしてしまってはならないと思います。 これは心得の第一にしていることです。 この気持ちは非常に強いものがございます。 しかし、 人それぞれの、個人的考え方(ポリシー)の良し悪しに ついてまで触れ、それについて管理者としての見解を表明し、 相手を注意・説得して、考え方を変えてもらおうとか、 説得してこちらに考え方を合わせてもらおうとも思いません。 なぜなら、 人それぞれに、さまざまな考え方があってしかるべきだし、 違っていて、よいと思うからです。 それゆえに、 もし、ある発言がきっかけで、 摩擦・混乱・弾劾などが起こりそうだと判断した場合は、 投稿された方の真意が何であれ (たとえ個人的には正論だと思えることでも) 削除させていただいています。 なぜなら、 そのことが原因で、丸1ページも、感情的に過ぎるネガティブな発言が 続くとすれば、そんな掲示板は、 ネットにおいて何の役にも立たないものであるばかりか、 有害だと思うからです。 また、リーク的、憶測的な書きこみで、 なおかつ、 それが関係のない第三者にネガティブな影響を 及ぼす恐れのあるものであれば、 たとえそれが事実であったとしても、 掲示板という公共性の面を考えると、 削除の対象にさせていただいています。 しかし、削除したからといって、 お書き込みされている方に個人的な心のわだかまりがあるとか、 ましてや憎悪感を抱いているとか、そういった気持ちは 全くございません。 もし、現実にお会いできるとすれば、 喜んでお会いし、パーソナルにさまざまなことについて 語り合いたいと感じることもしばしばです。 現に、わたしは、 ネットから離れて、個人的に投稿される方にお会いできる機会が しばしばあるのですが、 ぶっきらぼうに見える文体の人でも、実際に会うととても穏やかで、 まるで旧知であるかのように話しが盛り上がることがよくあります。 そういうわけで、 文章だけから人の性格というものは計り知れるものではないと 思っていますので、削除があったからといって、 管理者が悪感情を抱いているとは思わないでいただきたいと お願い申し上げます。 あれこれ書いてしまいましたが、 削除理由について述べない理由は次の通りです。 まず第一に、掲示板を平和に利用する。       それが崩されないことに努める。 第二に、ポリシーの違いがあることを認識し、喧騒につながらないようにする。     また、管理者自身が相手のポリシーを変えようとしない。 ある投稿がきっかけで 「あなたのその意見は間違っているんじゃないですか?」 と続き、 「いや、そんなことはない、俺は間違っていない」 となり、 「いやいや、あなたはぜったいおかしい」 となり、 「何を言うか!」 となり、 その後に言い争いが起こってしまった(しまう恐れがある)場合、 そこに管理者が出てきて、 「わたしが思うに、あなたが間違ってますよ」 「あなたのその考え方はおかしいので直してください、直さないと削除します」 という介入の仕方を放棄する。 第三に、掲示板を(理由はどうあれ)弾劾の場所にすることを放棄する。 ということです。 実際、自分に照らし合わせて考えてみますと、 人は、なかなか自分のポリシーを変えないものだと思いますし、 また、簡単には変えないからこそ存在していることになるのだと思います。 とはいえ、個人的感想を述べさせていただきますと、 冷静に考えて、正しいと思えることであれば、 自分のスタイルを固持しようとせず、あっさりと考えを改めることは とても大切だと思うのですが、 言うは易しで、なかなか現実には実行できないものだと思います。 > あたかも契約条件のように「管理者=ルール」 > (このように書かれた方もいらっしゃいました-削除されたようですが-)と、 > して強権を発動するのは、やはり、紳士的ではなかった、と思います。 先述したことがわたくしの真意でありましたが、 しかし、そうご指摘いただいたことは、 深く受け止め、反省させていただきたいと思います。 ご指摘ありがとうございます。 また何かお感じになられましたら、あるいは、 「こうすればどうだろう?」とのご意見がありましたら どうぞ忌憚なくおっしゃってください。 > ところで、G氏が雁木氏と同一人であるとすれば、 > 今回のミドリガメに関する投稿は、少々常軌を逸したようですが、 > これもまた、管理者のみならず、多くの他の投稿者の方々からの > 感情的な批判に、過敏に反応したのかもしれません。 そうですね。 おっしゃる通りかもしれませんね。 もし、わたしの行為によって傷ついた方がいらっしゃるとすれば、 心からお詫び申し上げます。 申し訳ございませんでした。 > ”無視”でも”削除”でも”罵声”でもなく、 > ”話し合う”事は出来ないものでしょうか? 反省しつつ、同感させていただきます。 ご意見のある方はおっしゃっていただければ幸いです。 最後に、 「それでは管理判断の基準は、管理者の直感に負うところ大ではないか」 との疑問が出てまいります。 それにつきましてお応えするとすれば、 正直なところ、多分に「然り」です。 今現在できるコミュニケーションの方法を考えてみた場合、 掲示板というのは利便性に大変優れていると同時に、 リソースを提供した組織(人)、あるいはその他の誰かが 管理作業を行わないと、安定した運営はでき難いと 感じます。 そして、運営における最終決定は、 好むと好まざるにかかわらず、 管理者の直感によるところが大きくなってしまうと思います。 しかし、管理者ももちろんミスをおかしますし、 平静心を失う危険性もあると思います。 だから、他の管理者、あるいは投稿される方々、 ROMの方々、またはネットを利用しない方々まで、 できるだけ多くの人の意見に絶えず耳を傾け、 何度も自身の能力を見直す必要があり、 また、「能力なし」と自他ともに判断されれば、 いつでもその任を降りる気持ちがなければならないと 思っています。 というわけで、 みなさまからのご意見は、いつでもお待ちしています。 より快適な方法が見つかりますことを 心より願っています。 長々と失礼いたしました。 お書き込み、ありがとうございました。 またのお越しをお待ちしています。 ●名前 上森 ●登録日時 11/19(日)06:49 パスワード re(2):時計の話題でなくてすみません。 -------------------------------------------------------------------------------- みなさん、おはようございます。 久 智行 さん、おはようございます。 ご返信、ありがとうございました。 > ええ、削除理由を述べない事に関しては、分かりましたが、 > 「削除におきまして、 >  事前、事後報告なしに行うというのには、 >  次のような気持ちがあります。」 > とあります。 > なぜ、報告なしなのでしょう? > 削除の際、相手のポリシーに触れること無く、 > ”このままでは争いになりそうなので、理由はさておき、削除したいのですが?” > と、投稿者に、報告(事前であれ、事後であれ)すると、 > 受け取られ方も違うと思うので。 > いえ、これが、管理者のポリシーだ、と仰られると、小生は触れませんが。 ご質問ありがとうございます。 お応えさせていただきます。 前回のわたくしの書きこみで述べましたとおり、 それは、掲示板を平和的に利用することを第一に考えると共に、 弾劾的、つまり、相手の書きこみの問題点(と思われる)ことを挙げて 人(あるいは組織)を攻撃する場になることを放棄しているからです。 たとえば、 ある投稿に対して、誰かが非難したとし、 それが原因で喧嘩が起こり、ますます混乱してきたと仮定しましょう。 ここで、管理者が出てきて、 「この会話は不毛(または他の理由)だと思いますので、  削除したいのですが、みなさん(あるいは当事者)はどう思われますか?」 と聞いたとします。 さて、管理者からそう聞かれた場合、 当事者はどうお感じになられるでしょうか? きっと、あえて投稿している以上、 その人のポリシーに基づいて、自信をもって書かれているはずです。 人によっては、 「喧嘩がおこったとしてもいいじゃないか。  わたしは大切なことだから書いているのである。  この問題をうやむやにしてはならない。」 などと、思われる方もいらっしゃることでしょう。 だとすれば、当然、管理者やその他の人々から 「不毛」とみなされるのは、 納得できることではないでしょう。 となれば、 「それでは、不毛とみなした根拠を問いたい」 という疑問も出てくるでしょう。 少なくとも、わたしがその立場に置かれたとしたら、 そう思うと思います。 しかし、 掲示板の本来の目的は、 管理者、あるいは他の人々と発言の妥当性について討論し、 盛り上がることではありません。 そういったことで平和的利用が阻害されることがあっては ならないと思います。 したがって、発言の妥当性云々がテーマで、 1ページまるごと討論されるとすれば、 これは、リソースを提供させていただいている側からすれば、 例外があるかもしれませんが、基本的には不本意であり、 ボイコットしたいと感じます。 また、投稿の中には、 こういっては語弊があるかもしれませんが、 「落書き的」なものが出てくる場合もあります。 同一人物が複数のハンドルネームを使って そのような投稿を行うこともあります。 そういった投稿に対して ひとつずつメールを送って削除の許可を求めたり、 掲示板で削除する前、した後に、理由を表明するのは、 管理者としてやる必要はないと感じますし、 またやるべきではないとも思っています。 なぜなら、 そういった投稿が多数に及んだ場合などは、 迅速な対応ができなくなりますし、 報告だけで多くのページを割く必要が出てきます。 また、ポリシーの違いによる諸々の問題も発生してきますし、 物理的にも難しい問題が出てくることでしょう。 掲示板運営は著しく困難になり、 事実上、不可能になるに違いないと思うからです。 また、 「反論はあるかもしれないが、喧嘩になってもいい。  それでも、どうしても言いたいことがある」 という方もいらっしゃることでしょう。 そういうときには、 わたしは個人的に、 実名で、自身の発言に最後まで責任をとる覚悟で、 堂々と、しかるべき場所に、しかるべき形で、 訴えを行うのが一番よいと思います。 どうしても言いたいことがあるならば、 ご自身の責任のもとに、ご自身のリソースを使って 訴えを行う場所を選んで、 (たとえばご自身でホームページを開設されるなどして) どんどん行っていただきたいと思います。 また、そこまでしてでも信念を貫き通す勇気のある人に 敬意を払いたいと思っています。 以上、感想を書かせていただきました。 時計の話題を求めてお越しいただいたみなさまには いろいろとお見苦しいところがありましたことを、 心からお詫び申し上げます。 お書き込み、ありがとうございました。