●名前 VSOP ●登録日時 01/10(金)12:17 持ち道具協力で思うこと -------------------------------------------------------------------------------- 閑古鳥ないてますね。ここは同一所持品相互礼賛を読まなくてよいので好きです。 長く続けてください。10年くらい続いた機械式時計ブームもロレックスで始まり フランクミューラーが飽きられたら終わりでしょうか。宴が終わりつつあることを 感じます。普通の状態に戻るだけかもしれません。 昨日、年下の男というテレビドラマでレベルソが大きく映りました。持ち道具協力 にジャガールクルトが入っていたのでいろいろ考えました。時計のテレビCMは ほとんど無いです。機械式はスイス製、国産ともに見たことがないです。 作為的に売り込みをかける場合は不明ですが持ち道具協力は広告宣伝費がかからずに 製品紹介ができます。レベルソをTVCMで紹介するより効率がよいのです。つまり 好きで買う人が買い、買える人が買うものはTVCMに向かない。大衆向けの物が TVCMに向くということです。実際、持ち道具協力を依頼されるような物はカード 会社発行の高級な方の雑誌に広告がよく載っています。 ●名前 エコロ ●登録日時 01/13(月)11:34 re(1):持ち道具協力で思うこと -------------------------------------------------------------------------------- 久しぶりにお邪魔いたします。 上森さんをはじめ皆様お元気でしょうか。 昨年、体調を崩しまして回復後の健康管理にとトレッキングを始めました。 といっても雪山登山とかロッククライミングとか大げさなものではなく近くの 山をトコトコと歩いてるだけなのですが、綺麗な空気や山の尾根から見える 景色の素晴らしさにだんだん惹かれていきまして、最近は天気がよければ足が行きた くてウズウズするほどになってきています。山登り入門書とか登山グッズとかの本を 眺めては「あ、これもいいな。フ〜ンこんなこともあるのか・・・」などとしてますと、 どうもこの感覚は時計に興味を持ち出した頃の気分の昂揚に似ているなとふと 思い出し、1万円で買ったシースルーの手巻き時計の歯車やテンプ、アンクルの動き を、時計技術本と照らし合わせて飽きることなく眺めてた頃を懐かしく思い出したり もしています。と同時に、トレッキングが自分の趣味になったことを自覚しています。 VSOPさんがおっしゃるように本当に時計ブームといわれるものが終焉してきているの かどうかは私にはわかりませんが、言われてみますと私自身は最近は雑誌もほとんど 買わなくなりましたし立ち読み(笑)する機会も減ったように思います。 以前は新しい時計を購入しますと2週間ほどでまた次のを探し始めるほど 時計を手に入れること自体が楽しかった時期もありましたが、それはなくなりました。 これはだいぶん前から感じていたことですが、時計は買った後の楽しみ方が少ない ですよね。時計師さんに教えてもらい時計を分解したり、組み立てたりして遊ぶなども 経験しましたが、車やおもちゃの改造とは違って、いじって変化する楽しみはあまり ありませんでした。せいぜい改良どころか破壊するのが関の山で時計師さんに再修理を お願いする始末でした。 あれはやはり趣味ではなくきちんと整備するというきちんとした職業的なものではない かと思います。時計師さんは時計医と言った方が正確かもしれません。 改造するのではなく正常に動ける状態に少しでも近くするというものですもんね。 また、私自身に時計を使うのではなくコレクションするという趣味の比重が大きければ よかったのですが、私はそうではなく時計を実用品として使いたいという気持ちが 勝っていました。数年前にこちらにも書いたことがあるかもしれませんが 実用品として文字通り「持ち道具」として気に入った一本を使い倒したいという 気持ちが大きいのです。過去ログもあるかと思いますが上森さんが昔書いてらした 傷だらけの使い込んだORISのお話や冒険家の植村直己さんが使い込んだセイコーダイ バーなど、持ち主に溶け込んでいて持ち主の個性そのものを表すような時計が欲しい と願っていました。 そのため、自分が納得できる「一本絞りの時計」というのを探してきました。 そのための条件、たとえば長く使うためにメンテナンスに重点をおくとか、 あるいは個性を重視してマイナーなものにするかとか刻々と自分の中でも 変化しますのでなかなか簡単には決まらず、結局一本に絞るといいながら結構な数が 揃ってしまいました。 その度に自分へのいいわけを考えていました。たとえば、 そういう持ち主の個性になりえるような時計は結局、持ち主が単なる道具として 使い込んでいて特別に時計をしているという意識がない場合に可能なのではないか。 そしてそれを実行するためには自分は時計そのものに興味を持ち過ぎている。 そして時計を自分の個性にしてしまえるほど自分が買ってきた時計は甘くなく たとえあまりにもメジャーな時計であったとしても、それ自身は個性が強い時計達 ばかり。かといって個性の少ない時計には自分も魅力を感じないし・・・と考えて きたところで、おい、じゃあ、いったい「個性」って何なんだ?ORISだって植村直己 さんのセイコ−ダイバーだって十分個性のある代物だよなぁ・・・と振り出しに戻り。 で、ORISやセイコーダイバーを買ってみたくなり、悪循環。(笑) しかし最近は本当に時計を買わなくなりました。 トレッキングという新しい趣味ができたことでそれに使える時計というのが主体になっ てきました。するとなんとなく使う(使える?)時計も限られてきました。 かといって時計に対する思いが消えたわけではないのです。 どこかに行く度に、「さてどの時計をしようか・・・」と考える時間は普通の人の 数倍はあると思います。(笑) 単純にトレッキングに使うということだけを考えればカシオやスントとかがそれ用の ものを作っていますのでそれが一番便利だし楽しいと思います。 ですが、やはり数年も時計にかけてきた情熱?は消えることなく、 「これが私の一本だ!」と信じて買ってきたはずの何故か数本(笑)の時計を 思い入れを作るために使っています。 思えばここ数年、時計にばかり趣味の情熱を傾けてきました。 もちろん楽しかったですし、時計を通じてたくさんの方たちと知り合えましたし、 なかにはすでに時計のこと以外でもこれからおつきあいしていける友人達も数人いま す。こういったところは時計を興味に持って本当によかったなと思っています。 自分なりにかなり散財はしましたが・・・(笑) 最近やっと「一本絞りの時計」を選ぶ準備が終わったのかなと思っています。 「時計を揃える」という段階から「時計を選んでいく」という段階に移行したように 思います。それにしても季節だけでなく景気の底冷えする時代になんという贅沢な話か とは実際思います。 「時計を選ぶ」・・・こんなことを考えていられることに本当に感謝です。 時節柄、皆様、お体ご自愛くださいますよう・・・ では。 ●名前 上森 ●登録日時 01/14(火)03:01 re(2):持ち道具協力で思うこと -------------------------------------------------------------------------------- みなさん、こんばんは。 わたしも久しぶりにお便りさせていただきます。 VSOPさん、エコロさん、そしてみなさん、お元気でいらっしゃいますか? 最近、風邪が流行っていますね。 わたしも、つい2日前、風邪にかかってしまい、頭はふらふらするし、 体はだるいしで、典型的な症状を味わったところですが、 どうしてもやらなければいけない仕事があったために、なんとかかんとか、 気力でもっているところでございます。 風邪というのは、聞きかじりですが、 ビタミンCを大量にグラム単位で飲むのがよい、などと記憶にあったものですから、 病院に行くのも面倒ですし、薬局に行ってビタミンC錠を買ってきまして 飲んでみたところ、ついつい、勢いあまって一日の摂取量の1.5倍ほど飲みまして、 ついでに100パーセント果汁のオレンジジュースなんかも800CCほど 飲んでしまいまして、なんとも、爽やかな気分になったのですが、 それが効いたのか、そのまま爽やかさが持続して、見かけ上の回復となった次第です。 そこで、 「いやぁ、あなどれないぞ、ビタミンC!」 と感じたのですが、とはいえ、 よく考えてみますと、この風邪は、 ビタミンCが治したのか、それとも自己の治癒力で治ったのか? との問いが浮かび上がってまいります。 一見するとどうでもよい問いですが、これも、あらためて見つめ直してみますと、 なかなか考えさせる深い意味を含んだ問いではなかろうかと思います。 といいますのは、 もし、自分の風邪をビタミンCが治したのならば、 自分はビタミンCに救われたことになり、となりますと、 見方を変えると、 「自分はビタミンCに依存して自らを救った」 という結論が出てまいります。 しかし、反対に 風邪を自己の治癒力で治したとしたならば、それは、 風邪を治したのは、ビタミンCという他者ではなく、 他ならぬ自己自身ということになり、結局は、 「自分は自己自身の(生への意志)によって自らを救った」 追加して 「ビタミンCを飲むことは、生への意志を喚起させる契機に過ぎない」 ということになるような気がいたします。 これは、考えてみれば大きな違いではなかろうか? などと、風邪で寝込んでいると、そういったことをつらつら考えたりして、 また、熱が出てこないように気をつけたいところです。 というわけで、 みなさんもお体にはお気をつけください。 ところで、 > そのため、自分が納得できる「一本絞りの時計」というのを探してきました。 > そのための条件、たとえば長く使うためにメンテナンスに重点をおくとか、 > あるいは個性を重視してマイナーなものにするかとか刻々と自分の中でも > 変化しますのでなかなか簡単には決まらず、結局一本に絞るといいながら結構な数が > 揃ってしまいました。 > その度に自分へのいいわけを考えていました。たとえば、 > そういう持ち主の個性になりえるような時計は結局、持ち主が単なる道具として > 使い込んでいて特別に時計をしているという意識がない場合に可能なのではないか。 > そしてそれを実行するためには自分は時計そのものに興味を持ち過ぎている。 > そして時計を自分の個性にしてしまえるほど自分が買ってきた時計は甘くなく > たとえあまりにもメジャーな時計であったとしても、それ自身は個性が強い時計達 > ばかり。かといって個性の少ない時計には自分も魅力を感じないし・・・と考えて > きたところで、おい、じゃあ、いったい「個性」って何なんだ?・・・ エコロさんのこのお話に、わたしは反応してしまいました。 おっしゃる通り、時計好きにとって「一本絞り」なかなかできることではないですね。 思い返せば、このテーマは、本掲示板が発足した頃よりずっと続き、いまだ結論の 出ないお話ですね。 そういえば、その昔、本掲示板で、 「それでは、一本絞った時計で何日我慢できるか?我慢比べしましょう」 ということになって、わたくし、挑んだのはよかったのですが、 試合開始後、わずか数日でむずむずしてきまして、 どうにも我慢ができませんで、見事に負けてしまった経験がございます。 というわけで、時計が好きになればなるほど、どんどん時計が増殖してゆき、 しまいには、文字通り手におえない状況に陥ってしまうことの是非、 これには、どういう決着がつけられるのでしょうね。 とはいいましても、わたしも時計好き歴はちょっとあるものですから、 けっこう自分なりに考ました。 そこで、最近どう感じているか、途中経過の報告のようなものをさせていただきます。 まず、時計好きが、なぜ時計好きかといいますと、 それは、時刻を知るという実用的な目的のみならないのは明白でございまして、 そこには、多分に「精神的な満足感を求めて」という動機があると感じます。 そして、時計が好きになればなるほど一本絞りできない(極めて難しい) ということは、「精神的な満足感を求めれば求めるほど、一つの目標に絞れない」 といっても、過言ではないのではなかろうかと感じます。 ここで浮上してきますのが、「目的・目標意識」だと推察します。 目的・目標を設定して(計画して)達成する。 という意志は、「ゴールを目指して突き進む」という意志であり、 それは、貫通行動といいますか、明確な一貫性を感じさせるものが あると思います。 そして、こういう思考パターンを採るか採らぬかということは、 個人の選択でございます。 たとえば、 あたかも説教されるがごとく、 「目的・目標意識を持たなきゃダメなんだよ」 と誰かに言われるとすれば、それに対するえも言われぬ不快感を感じて、 「何が目的・目標意識だ!俺はそんなものはもたない」 と意思表明するのも、個人の自由でございます。 わたしは、自分の生活パターンを振り返ってみますと、 正直、上記のような意見を持っていました。 いかなる強制にも従わない。 それこそ、個人主義・自由主義だと思っておりました。 しかしながら、 現実社会の営みというものを鑑みますと、 たとえば、資本主義社会の主役(準主役)であるともいえる企業は、 その活動をする上で、目的・目標意識を持たないと、 明らかに、発展は望めないのではないかと痛切に感じます。 今月・今年・さらには来年再来年、はては10年20年先までの 明確な展望をもち、計画し、実行してゆくという態度は、 企業運営にとって重要なことであり、これを持っているか持っていないかには、 存続・運営に雲泥の差が出てくると感じるのであります。 そしてまた、企業の成員としての個人にもまた、 こういってよければ、同じ重しがのせられるのではないでしょうか? それでは、何のために企業があるのか? という問いが出てきますが、それは、利益の追求であると思います。 (もちろん、他にも目的はあるでしょうが) それでは、利益の追求とは何か? と問うと、ひらたく言えば「お金を稼ぐ」ということになると思います。 それでは、お金とは何か? と問うと、わたしは、「お金とは現実(マテリアル)の変化である」 などと感じるのであります。 もし、この仮定が妥当であるとするならば、 次のような結論が導き出せないでしょうか? 「現実(マテリアル)社会に生きていく上では、目的・目標意識が極めて重要である」 つまり、 「食べていきたければ、目標を持とう」 ということになるような気がするのであります。 しかしながら、これは重い言葉であります。 「食べていきたいけど、目標を持ちたくない(持てない)」という人も 気分的には多数いると推測できるような気がするからです。 そこで、ここからは(もうすでに?)極論でございますが、 実社会で目標意識をもちたくない人々、情念のやり場を失った人々が、 時計という分野に、何かの拍子で注目したとしたらどうでしょう? 「あっ、ここにこんな面白いものがある!」 「楽しそう!」 ということになり、 「まずは、機械時計を知りたいからオリス買ってみようか?」 「面白いねぇ。もっと面白いもの?やっぱりロレックス買わなきゃ」 「オメガもいいよ」 「カルティエを忘れちゃ困るなぁ」 「こうなった今、バセロンいってみようか」 「いっそのこと、パテック?いや、ランゲ?」 というような感じで、擬似目標意識(こう言っていいかどうかわかりませんが) をもち、まあ、時計ならがんばれば買えますし、 比較的に目標達成はし易く、達成感も味わえます。 かくして、 実(マテリアル)社会で明確な目的・目標意識を持たない代償作用として、 時計分野というものが、実に好都合な場所としてあるのではないかと 思うのであります。 と、同時に、 「フランク買いたいから、今の仕事がんばろう」 という、動機付けもありますので、 完全な代償作用とはいえないまでも、少なくとも、 実社会の目的・目標意識を補足、あるいは相乗効果を生み出すという 意味合いを含んだ精神活動が時計趣味にはあるのではないかと 推察する次第です。 まことに、 人は、目標をもつと、それに向けてがんばるという不思議な生き物でございます。 また、人は、実社会に、あるいは、趣味の世界にでも、どこかしらに、 自己の目標を抱きたい不思議な生き物でございます。 さて、ここで、あらためて、 なぜ時計好きは、「一本絞り(一つの目標に絞ること)」ができ難いか? という問いに立ち返ります。 以上の考察を踏まえた上で、わたしは、 人は「ロレックスを買おう」という目標をたてて、計画を実行することはできても、 つまり、「物(あるいは金品)を得よう」という目標は達成に向けて実行できても、 「買ったロレックスを使い続けよう」という行為、 つまり、「自分はこうあり続けよう」という目標は、極めて実行困難である。 という仮説を導き出したいのであります。 注目したいのは、目標には2種類あるということでございます。 ひとつは、物質的なものを得たいという目標、 もう一つは、自己はこうありたいという目標。 (※注 この二つの目標は、もしかすると根底で共通しているのかもしれませんが、     それは、今のわたしには何ともわかりません。よろしければご意見を!) 考えてみますと、これは不思議な結論であります。 普通に考えると、金品を得ることの方が難しそうなのでありますが、 自己の精神状態を維持する、ことの方が(時計好きにとって)いっそう難しい ということになってしまうのであります。 さて、自己の精神状態を維持する、これは、「強靭な意志をもつ」ということに 他ならないのではないでしょうか?、 「自己はこうありたい」という目標をもつということが、 時計好きの前に横たわる大きな扉(メッセージ)なのではないでしょうか? というわけで、わたしは、 最初に書いた、 「精神的な満足感を求めれば求めるほど、一つの目標に絞れない」 という、時計好きの、こう言ってよければ持病を打破するためには、 「自分はこうありたい」という目標を達成することが肝要である。 と、このような仮説を導き出すのであります。 そして、 「自分はこうありたい」という目標について考えると、 「自信とは何か?」 という問いについて考えざるを得なくなり、 それは、壮大なスケールの問いになってしまいますので、 またの機会にゆずりたいと思います。 突然終わってしまうようで恐縮でございますが、 ここまでが経過報告でございます。 以上、 久しぶりに書きましたもので、激しく脱線、乱文、(あるいは意味不明)に なりましたこと、ご容赦ください。 お読みいただいて、ありがとうございました。 みなさん、どうぞ健やかにお過ごしください。 ●名前 PP ●登録日時 01/14(火)12:34 re(3):持ち道具協力で思うこと -------------------------------------------------------------------------------- VSOPさま、エコロさま、上森さま ROM専門の私ですが、久しぶりに心が休まるような投稿読ませていただきました。 心より感謝いたします。 ●名前 VSOP ●登録日時 01/14(火)18:50 re(4):持ち道具協力で思うこと -------------------------------------------------------------------------------- 名跡あるエコロさん、管理人の上森さんからRESがつくとは思いませんでした。 書くという行為はけっこう消耗しますが回復しました。 時計は買った後の楽しみ方が少ないことは私も感じます。持ち道具を 身に着ける物とすると日常では メガネをかける。 時計を見る。(時刻を確認するため) ライターで火をつける。 万年筆で手紙をかく。 などの場面があります。収集などの趣味にはなるのですが発展性がどれも 少ないです。少々無理に発展させていろいろなパターンをみましょう。 手持ちのカルティエとロレックス売ってフランク買いたい、 キャバクラで一番人気だってさ。 クロノグラフ付きの時計で時間を測ってみた。 針が多い時計は好きだ。 他のクロノグラフも欲しくなった。 デイトナも欲しいなあ。 ゼニスもいいらしい。 他のクロノグラフも欲しくなった。 昔の機械はいいらしいよ。 バルジュ―72が有名だけど ロンジンの30CHがしぶいよね。 そんなの普通わからないよ。 裏蓋スケルトンの時計でテンプの動きを見ると楽しい。 裏蓋をあけて緩急針をいじってみた。 機械に興味がわいて分解組み立てをやってみたくなった。 今では、ジャンクをいじるのが趣味になった。 いろいろ買ってはみたけれど トゥ―ルビヨンの動きは見ていて楽しい。 ブレゲの次はダニエルロートかフランクの初期物にしよう。 (ここに到達するのは極めて少数かつ困難) 私は機械いじりには根気が無く、トゥ―ルビヨン鑑賞は金銭的に無理です。 ●名前 エコロ ●登録日時 01/14(火)23:56 re(5):持ち道具協力で思うこと -------------------------------------------------------------------------------- こんばんは。時計の楽しみ方はやはり「買う」要素が多いようですね。 「買う」ことが目的であったとしても確かに目的や目標はエネルギー そのものといえそうですね。 風邪も「治りたい、治さなきゃ、いや治してやるぞ、よしビタミンCだ!」 と強い意思を持った時点で体の自然治癒力も大幅にアップしていること と思われます。精神力とパワーはかなり相関していて、何かの勝負で も「あ、負けるかも・・・」なんて思い始めた頃から負けが加速していくの ではないでしょうか。まあ、それでも勝つこともありますから勝負という ものは終わるまでわからないものなのですが・・・ 時計を買い続けていた頃の私の目標といえば何だったのだろうと考え てみますとやはり、いつまでなのかは定かでない限られた自分の残 りの人生の伴侶あるいは分身のような時計を見つけるということに つきます。時計好きの方の中には私のように思い、雑誌の「ボーナスで 買う一生モノ時計!」なんていうコピーに魅力を感じてしまわれた方も 多いのではないでしょうか。 「一生モノ」という話題もよくでますがこれも昔からあって解決しないも のですね。これについて話だしますと私も脱線しそうなので「一生モノ」の話は横に置いときます。 私自身、手は器用(時計はいくつか壊しましたが・・・)なのですが性 格はかなり不器用で、今まで趣味を持つとか何かを好きになるとかい うことはたいてい対象がひとつでないと集中できずにきました。 時計の場合も同じくで興味を持ち始めたとたんそれまでの趣味は消 えてしまいました。それからおよそ10年くらいになりますでしょうか。 たったその程度かと先輩諸氏からお叱りを受けそうですが、飽き性で もある私が10年近くも同じ趣味にのめり込めたというのは自分なりに 奇跡的だと感心もしているのです。でありますから時計についても 「この一本」という時計を探したのですが、こればかりはうまくいきませ んでした。それでもしばらくの間はいいのです。経験からいいますとだ いたい2週間。その間は同じ時計を「これこそ自分の一本!」と思い続けることができ、精神的にも安定しています。 それこそ他の時計は全部箪笥にしまってしまおうと思うくらい。 ですが、だいたい2週間を超えますと何か他の時計が気になり出しま す。その頃は「この一本」に集中する性分と飽き性の性分がちょうど反 発しあって精神的にもイライラしてきます。 それはつまり、時計を持つ目的が人生の伴侶のような自分の分身の ような時計をつけるという簡単なようで曖昧なものであるせいではな いかとも考えられます。現在、時計にはそれこそ数えきれないほど 種類がありますがそれぞれが使用用途や様々な思い入れによって 一長一短であり、オールラウンドに用途と精神的充足感すべてに満 足できる時計というのを私は見つけられませんでした。 そんな中、めずらしく時計という趣味を持ちながら器用にも同時にトレ ッキングという新しい趣味を持つことができました。 そこではじめてその用途にあった時計というのがある程度絞られるよう になったわけですが・・・つまり考えてみますと、私はよく相棒と表現し ますが人生の伴侶的な腕時計を持つという主たる時計に対する目的 の中にトレッキングにも付きあってくれる時計という条件がつけれたのです。 正直にいいますと、私の決してハードとはいえないトレッキング程度で は防汗性能があれば十分なのですが、気分の問題なんですよね。 私は「腕時計は時間さえわかればなんでもいい」というセリフを吐けな いほどには腕時計は好きですので(笑)たとえヘナチョコアウトドアで あってもそれに似合った時計でないと納得できないのです。 たとえばこんなことがありました。山に行き始めた最初の頃、なるべく 軽い方がよかれと、ドレスウォッチ系ウォッチをして行ったことがありました。ところが山慣れしていないせいか3分の1も登っていない地点 で恥ずかしながらバテテしまいました。フラフラして一歩も動けなくな りその場に寝込んでしまったのです。少し回復してまた歩き出したの ですが、情けないやら悔しいやらで気分を変えようとドレスウォッチを はずして密かにザックに入れておいたスポーツ系の腕時計につけかえました。 でも何故かそれ以降、バテずに登りきることができました。 もちろん休憩のとりかたやその他医学的に説明できることもあろうかと 思いますが私は時計からもらった精神的パワーもたぶんあったので はないかと信じてやみません。 誰かの「持ち時計」であるというのも、それだけでパワーを秘めている ように思います。 憧れのスターやスポーツマンがつけているのと同じ時計をすることで あたかもその人のように演じることができる。この場合、他人から見て 同じに見えるかどうかは関係なく、自分が演じてる気分になれればそ れでいいと思います。なぜならそれだけで本人はパワーを持てるの ですから。「持ち時計」が協力されたものでなく私物であった場合はな おさら効果は高いですね。 いずれにせよ、その腕時計が自分なりのイメージを持てる十分に 個性的な要素があるとすればその時計を持つことによってイメージ に沿って自分を演じることができるのかもしれません。 (こういう話、以前上森さんがされていましたね) 話題を元に戻しますが、私が器用にも時計という趣味をなくさずに新 しい趣味を持てた理由も無理に考えますと、時計というもの自体がそ れこそオールラウンドに浸透していて時計の関係しない分野のほう が人間の行動において少ないからではないかと思うのです。 つまりどこにいても時計という項目はつきまとい離れない。 そんな感じがします。 時計という基底あるいは時間という観念があってそこにいくつかの違 った目的が生まれます。時計好きは時間の観念に時計そのものの 魅力を感じてしまってますから質が悪いのですが、もしも時間の観念 を基底にした上の違った目的同士で共通項がそろえばあるいは一本 絞りの時計が生まれるかもしれませんし、目的同士があまりにもかけ 離れていれば一生絞れないかもしれません。 それにしても久しぶりに時間をかけて文章を考えました。 (それにしては読み返しにもかかわらず誤字脱字が多いですが・・・) エネルギーを使いますが、楽しいひとときを得られました。 ありがとうございました。 ●名前 VSOP ●登録日時 01/16(木)17:34 re(6):持ち道具協力で思うこと -------------------------------------------------------------------------------- 時計は趣味でなくても常時身に着けるものとして重要なものであります。携帯電話の 普及で腕時計を着用しない割合はふえているようですが私は着用します。 そして「この一本」の決め手は快適であることです。いろいろ試してみましたが デカ厚は重く、シャツにはひっかかるでいいことなし。 重心も風防側が重く感じるのは疲れる。 革ベルトも夏期は×、革は柔らかい物が快適。 ブレスレットも角があたる形状は不快。 などを体験しました。どれも気に入って買ったものですが使いながら比べていくと 最も快適なものが「いつもの一本」となりました。体には馴れがあるので一つだけ 使用していると感じにくいかもしれませんが複数を使用すると敏感になってきます。 ●名前 エコロ ●登録日時 01/16(木)22:27 re(7):持ち道具協力で思うこと -------------------------------------------------------------------------------- VSOPさん、細かいチェック、一つ一つ私もうなずけます。 時計装着時の快適さは重要なポイントであると思います。 >そして「この一本」の決め手は快適であることです。 >いろいろ試してみましたがデカ厚は重く、シャツにはひっかかるで >いいことなし。重心も風防側が重く感じるのは疲れる。 デカ厚時計という流行は日本ではすでにカシオのG−SHOCKの流 行がありましたから世界的には細腕の民族であるにもかかわらず比 較的受入がよかったですね。以前は大きな時計といえばブライトリン グなどの航空系時計がすぐに頭に浮かびましたが、それ以上の大き な時計がここ数年でわんさか湧いて出てきましたね。 機械ものは「同じ性能ならば少しでも小型化」が目標なのが当然と 思われますが、堅牢さや高防水性能、また最低限の視認性のために しかたがなく大きいというのではなく、現在は大きさそのものがデザイ ンの必要性として認められているのですから時代の流行というもの は不思議ですね。 かくいう私も、比較的大きくて厚い時計をいくつか使用していますが、 そのなかでもいろいろつけてみますとやはり少しでも厚みのない ものの方がつけ心地はいいといえます。各人意見は別れるところと 思いますが、オメガのシーマスターなど比較的、文字板の大きさに 比べて薄型の時計といえるのではないでしょうか。ただなぜか重いの ですが、ブレスレットとの重量バランスがいいので実際の重さ(約170g)を感じさせません。逆に140g、100gの時計でも時計本体に厚み があるものは確かに重量バランスが時計本体のほうにあってキツく ベルトをとめないと腕の端によくずれて心地悪い場合がありますね。 >革ベルトも夏期は×、革は柔らかい物が快適。 時計重量がかなり軽くなりますので革は好きなのですが、 汗対策には難儀しますね。 私も革のかわりにと、ウレタンなどの合成系も試してはみましたが どうも革のようには腕に馴染みにくくしっくりこないものが多かったで す。いまだ解決しない問題ですが、同じ革ベルトでも裏が質のよい 合成革のものは汗対策にもよくつけた感触もいいように思います。 皮革にカブれやすい方にもおすすめです。 >ブレスレットも角があたる形状は不快。 同感です。 重い時計の場合はなおさらですが、エッジがたっているものは腕に 当たって不快です。ですので私は工作工具でエッジをカーボランダム というポイントを使い面取り、シリコン系のポイントで仕上げをして腕 あたりを調整します。ロレックスのスポーツモデルに使えれている3連 ブレスレットはエッジがたっているものが多いので有効でした。 フリーハンドですので寸分の狂いなくまっすぐ奇麗に仕上げるという わけにはいきませんが腕に当たる内面は見えるところではないです ので見た目は問題ありません。調整後の装着感にはかなり差があり ます。外面も内面のエッジも奇麗に面取りしてある時計を見るとそれ だけでうれしくなりますね。 時計はできるだけ小さく薄く軽いのが装着感はいいと思います。 あとは私にとって十分な存在感と主張を持ち、その時計をしているこ とで元気になれるものであればいうことなしです。 しかしなぜか、そういう時計は重いのでこれが私には問題です・・・ ●名前 VSOP ●登録日時 01/17(金)17:59 re(8):持ち道具協力で思うこと -------------------------------------------------------------------------------- 究極の1本の一つの姿とは木型をとった靴や顔面計測をしたメガネのように完璧な フィッティングをしたものでしょう。エコロさんの言われる面取り加工して研磨する ことなどは必須の項目といえるでしょう。追求すればブレスの幅、面取りの角度、幅 など全てが画一でよいわけはありません。せめて3種類の加工済み品から選択できる ようにすると現実味のある商品展開が考えられそうです。腕力、歩行時の腕の振り角 などから理想的な重心位置や重量も計算できそうな気がします。オメガのシーマスター はよく設計されているのかもしれません。 最近、シーマスターのCMをCATVのFOXチャンネルで見ました。007の ワンシーンを使用していてレーザー光線を発していました。映像広告は存在すること がわかりました。とても賢いタイアップをオメガはしています。 007のイメージは悪くはない。 シリーズ化されており永続性がある。 配給先はひじょうに広範囲である。 主演俳優のイメージも良く、数作で代が変更になり新鮮さを失わない。 妥当かどうかは別として、高すぎる価格設定ではない。 販売量は多く、品薄で買いにくいようなこともない。 良いブランドイメージを保ちながらなんとか買えそうな価格で多くを売っていく方法は うまくいっているようです。オメガは60年代も同じでした。安い人件費による量産品 が名機だったことを現代の量産品にも望むことはできないという違いがあります。 オメガおよびスウォッチグループ内での位置ぎめが難しいコンステレーションをあまり いじらないのも余裕があるからなのでしょう。 ●名前 HASEM ●登録日時 01/16(木)23:14 re(3):持ち道具協力で思うこと -------------------------------------------------------------------------------- 皆さん、こんにちは。 HASEMです。 ここへの書き込みはずいぶん久しぶりになります。 上森さん、VSOPさん、エコロさん、こんにちは。 皆さんのお話で以前この掲示板で時計の1本絞りで 上森さんと我慢比べさせていただいたことを懐かしく思い出しました。 あれから数年経ち、私の時計の嗜好も変化しましたが、 その間いくつかの時計の購入を繰り返してきました。 私の場合は早いうちに腕時計から懐中時計に移行し、 懐中時計の中でもしだいに古いものへと目が向いて 行きました。 そういう意味で他の皆さんとはちょっと観点が違っているかも しれませんがちょっと書かせていただきたいと思います。 当初は、エナメル文字盤の質感に惹かれ1本に絞り込もうと 思いましたが、最終的には全く予想していなかった時計に ごく最近落ち着きました。 その時計は、18世紀の初めにイギリスで作られたもので 銀製のペア・ケ−ス(2重ケ−ス)にシャンプリ−ブと呼ばれる 銀製の文字盤で外側のケ−スにはリボセと呼ばれる打ち出し 模様が施された時計です。 見た目には文字盤もケ−スも銀色で更にケ−スには凹凸が あるという時計で文字盤の視認性も良いとは言えず、また 手に持った時に独特の感触があります。 元の話題に戻って、私も上森さんが書かれている様に「時計を入手したい」 という面と「入手した特定の時計を使い続けたい」という面の2つがあると 思います。 「時計を入手したい」については入手ができた時点で達成(終わる) ことになりますが、「入手した特定の時計を使い続けたい」については どうなのか?を私なりに考えてみました。 気に入った時計を入手するとしばらくの間は、時間を確認するため 以外に一日に何度も時計を眺めるということを繰り返してきました。 ところが最近は持ち歩いて時にあまり時計を見ることがなくなりました。 というより見なくなっていた自分に気づいたというのが正しい表現でしょうか? 私の懐中時計は鍵巻きなので、毎朝出勤前に鍵でぜんまいを巻き、 時間を合わせるのが習慣となっておりますが、その時に見てあとは ほとんど見ないまま一日を過ごすことが多くなりました。 恐らく会社には大きな文字盤の掛け時計が至る所にあり、それを 見ないでわざわざポケットから時計を取り出すのも時計を見せている 様に感じ始めたからかもしれません。 ところで私の懐中時計は古いため最近の懐中時計と比較すると 厚みも重さもあります。 勤務時間中にはズボンのポケットの右前に付いている時計用の小さな ポケットに入れており組み紐を付け、先端をサスペンダ−の付け根に通しています。 このため、時計を持っているにも関わらず、時計の存在をあまり感じなくなって きました。 最近はほとんど他の時計に目を向ける機会も減り、また手持ちの時計を いろいろ持ち歩くということもなくなりました。 1本の時計に絞るということはもしかしたら持ち歩いている時計の存在を 意識しなくなることかもしれません。 まだ数ヶ月のことであり、またいつ何時、気持ちが変わり他の時計が 気になるかもしれませんがその時はまた書き込ませていただければ と思います。 それでは。 ●名前 VSOP ●登録日時 01/28(火)12:39 re(3):持ち道具協力で思うこと -------------------------------------------------------------------------------- 企業は利益を追求する、その中から働く者に賃金を与えます。 個人の多くは食べるために働きます。生涯賃金と言う言葉があるように 一個人の収入は限られています。仕事で大きな利益を組織に与えても 多くの人は収入に還元されません。 何か欲しいものがあればそのために働くことはあります。 資本主義社会においてマテリアルの上限は時計1個で億単位の消費が簡単に できるほど限りないものです。大抵、消費は金銭的に諦める行為を伴います。 物質的なものを得たいという目標は自由ですが実現しないと単なる夢に終わります。 自己はこうありたいという目標が身につける物で具現化するなら購入して身に つけなければ自己表現できません。話が難しくなってきました。 わかりやすく書いてみます。 グランドコンプリケーションが欲しい →1個持っている →集めたい  →全部持っている →普通に使っている →生活レベル、交友関係も バランス良く違和感がない → → → → → → → → → ∞ 松井選手がアメリカで住居をさがしました。もっと年俸があれば住みたいと 冗談がでるような物件もありました。自分の居る世界が変化している、上には 上が限りなく広がっているなと思ったことでしょう。      自己はこうありたいという思いには、実現可能な範囲を自分に納得させることが 必要です。その範囲で満足が得られるならその人は幸せです。ある程度年齢を 重ねるとわかりますが、少年老いやすく富成り難しです。