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●ピンセットあれこれ

優秀な技術者の仕事机の引き出しの中には精魂込めて調整されたピンセットが整然と並んでいます。
その徹底的に研ぎ澄まされた刃先を見ると身が引き締まる思いにさせられます。

時計技術者に、「修理をするときに一番長い間使う、必要不可欠な道具って何?」
と聞いてみましょう。
必ず「ピンセット」という答えが返ってくるはずです。

このように時計修理では大変重要なピンセットですが、金額的には大したものではありません。
プロが使う道具としてはあっけないほど安い値段で買うことができます。一本数千円から高くても1万数千円でしょう。
しかしそのチープな道具は、それぞれの技術者の手に合うように調整された後に一日何時間も使用され、それが何十年も続くのです。
使い込むうちに、ピンセットはまるで自分の指の分身のように自由自在に操ることができるようになります。
熟練した技術者は自分専用のピンセットを使って、驚くべき精密な作業をやってのけるのです。
数ある時計工具の中でもピンセットは ”愛用される” 道具の筆頭格です。
同時に、非常に技術者の個人差が出る道具であり、材質・形状・仕上げなどの好みは人それぞれで多種多様です。

時計技術に興味のない人からみると古いピンセットなど何の価値も感じられないでしょうが、技術者にとっては金銭に代え難い価値をもっているのです。



●ピンセットの材質

スチール製、真鍮製、磁気を帯びないノン・マグといわれる金属を使ったもの、ブロンズ製、ジャーマンシルバー製などの沢山の種類があります。
また、クォーツ時計を扱う技術者は絶縁体がついたピンセットや、絶縁体そのものでできたピンセットが欠かせません。

材質によってピンセットの先の硬さは大きく違ってきます。

硬すぎるピンセットを使うと、パーツやムーヴに傷が付きやすくなってしまいます。
そのためにピンセットの取り扱いが難しくなります。
一方、柔らかすぎるピンセットだと先端がすぐに変形して使えなくなります。
あるいは、パーツに傷が付かない代わりにピンセットに傷が付くので、こまめに磨かなくてなならないというデメリットが生じます。
どの硬さのものを選ぶかは、技術者がピンセットを操る時の力の入れ加減に左右されるので個人差が出てくるのです。

ただ、一般的に柔らかいピンセットの方が手入れの手間がかかりますが傷をつけないので安全である、ということは言えそうです。
そういう観点からいえば、真鍮はやわらかいので真鍮製のピンセットは安全です。
余談ですが、一流の時計メーカーの技術者になると、真鍮ドライバーを使用する人もいます。
仮止には真鍮を使用し、最後に固く絞める時はスチール製なんて具合に使い分けるのです。


●ピンセットの形状

熟練した技術者はパーツに傷をつけるようなことはありませんが、パーツの傷はピンセットやドライバーを滑らせる事によって生じます。

先端が尖っているものはパーツを掴みやすく細かい作業をすることができますが、パーツに傷を付ける可能性があります。
丸めればその逆で掴みにくいですが、パーツに傷はつきにくくなります。
ピンセットの材質によっても先端の形状は変わります。
硬いものは細くできますが、柔らかいものはそうはいきません。

また、使用目的によっても多くの形状が存在します。
ツツカナを抜くためだけのピンセットや、カレンダー盤専用の徹底的に磨いたピンセットなどもあります。



●ピンセットは何本必要?

数十種のピンセットを使い分ける技術者もいますが、修理の時には最低2種類のピンセットが必要です。
ひとつは、通常のパーツをつかむごくオーソドックスなピンセット。
受やネジなどを掴むので、ある程度しっかりしたものがよいでしょう。


もうひとつは、時計の心臓部であるヒゲゼンマイを調整する時などに使用する先端の細いものです。
これは俗称ヒゲピンと呼ばれています。
非常に繊細な作業の時に使われるものですから手入れには特に注意し、ヒゲ以外のものを掴まないようにします。(先が狂ってしまうため)

とりあえず、この2種類のピンセットがあれば常識的な時計は全て組むことができます。




●ピンセットの調整

ピンセットは強い力をかけたり、落としたりすると簡単に狂ってしまいます。
また、先の細いピンセットは、すぐに先端の挟む部分が開いてしまいます。



そうなると上手くパーツを掴めなくなり、時には飛ばしてしまう事も起こります。
小さいパーツを飛ばしてしまったために、床に張り付くような格好をして探すことは技術者なら誰でも経験していることです。
心優しい他の技術者がいれば一緒に探してくれてありがたく思うのですが、「手助けしては本人のためにならない」といって誰も探すのを手伝ってくれないスパルタ式の技術室もあります。
一人で床すれすれに顔を近づけて1ミリ以下の極小パーツを探していると、何ともいえない情けない気分になってきます。
こんなことにならないように、ピンセットはちゃんと調整しておかなければならないのです。


ピンセットは主に砥石を使って調整します。
先端の細さとか、角度などを何度も確かめながら砥いでゆくのです。
新品のピンセットに何も手を加えないで使い続ける技術者はいません、というか使えないのです。
みんなそれぞれ使いやすいように加工して使用します。
人によって仕上げの程度が違い、この仕上げ作業でピンセットの個性が生まれてきます。

ある程度、形を整えられたピンセットは、丁寧に磨かれます。
表面よりもむしろ、内側が肝心です。
先端の内側が傷だらけならパーツにも傷が付くからです。
磨きには紙ヤスリの極めて目の細かいものを使用します。
ラッピング・フィルム、もしくはインペリアル・シートと呼ばれる研磨シートがよく使われますが、これは普通の紙ヤスリの数倍もの値段の高級品です。

このようにピンセットは 、” 技術者の魂 ” とも言えるくらい大切な道具なのです。






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