道具の効果
道具の効果
トゥールビヨン3D
時計の達人
工業製品と芸術品(カフェテリア・カビノチェ、voyagerさんより)
時間について(カフェテリア・カビノチェ、やすひろさんより)
私の夢(カフェテリア・カビノチェ、周さんより)
   







 


  最近のパソコンソフトは、ホントに凄いですね。
印刷ソフトだって、昔は活版職人が何十年もかかって身に付けた高度な技法を、いとも簡単にやるし、画像処理ソフトだって、写真屋さんが腕を鍛えてやり遂げてきたようなプロの仕事をあっさりやってのけます。
また、将棋や碁なんてのは、まったくの素人がちょっとまともに差せるようになるには、やっぱり何年かかかるので、腕を磨きたい人は相手を探すのにも苦労したりしますが、ソフトなら数千円も出せば心行くまで相手をしてくれます。
もちろんプレイするために、高価な碁盤や駒はいりません。

 そう、ソフトを使えば何事をするにも大掛かりな道具も場所も必要としないばかりか、ソフトウエア自体には重さすらなく、これは、当たり前のことのようだけど、あらためて考えてみれば不思議だと思います。

 でも、どうしても道具や場所を揃えないと、プレイできないものもあるような気がします。
たとえば、キャッチボール。
キャッチボールをしようと思ったら空き地と相手を探してきて、次に道具としては、ぜひボールを用意したいですね。
あとグローブもあればいいですね。バットもあればもっと面白いでしょうね。
そう、ボールとグローブとバットがあれば、ちょっとした野球の真似事をして楽しむことができます。

 野球をしたいから、道具としてボールとグローブとバットを揃える。
これは、実に自然な行為だと思います。

でも、そこに道具的な趣味性が加味されると、プレイ以外の他の衝動が生まれるような気がします。
たとえば、野球をしたいという動機でありながら、最高級のボールと、特注のグローブと、プロ用のバットとを揃えたくなる・・・。というような。

こういうことは、けっこうよくあるのではないでしょうか?
料理をつくりたい、という動機が転じて、最高級の料理道具を揃えたくなる。
車に乗りたいという動機ではじまって、最終的にドイツ製の高級外車がほしくなる。
音楽したいだけなのに、マーチンに憧れてしまう。
などなど。
道具好きの人にとっては、何をするにもこんな道具所有の誘惑が待っているような気がします。
そして、当初の行為への動機は希薄になっていき、それに反比例するかのように道具所有への憧れが芽生えるような気がします。

でも、もしかしたら、

大切なのは、所有することではなく行為すること」なのかもしれません。

あるいは、

「大切なのは、道具そのものの価値ではなく、道具がもたらす効果」なのかもしれません。

 自然に考えれば、野球をしたければ、目に付いたボールと、使い古されたバットと納屋に転がっているグローブさえあれば、十分楽しめるような気がします。
車に乗りたければ、国産の中古車で十二分だと思います。
料理だって、高級な道具がなくったって、おいしいものを作る気があるなら、きっとできると思います。

なのに・・・

なぜ・・・

道具の趣味人は道具所有の誘惑に惹きつけられてしまうのでしょうね。

時計を眺めているうちに、なんとなく、そう感じました。
時計好きのみなさんは、そんなことを感じたことはないですか?







| MENU |

Copyright(C) Digital Art Creators ,INC. Allrights Reserved