「工業製品と芸術品」
道具の効果
トゥールビヨン3D
時計の達人
工業製品と芸術品(カフェテリア・カビノチェ、voyagerさんより)
時間について(カフェテリア・カビノチェ、やすひろさんより)
私の夢(カフェテリア・カビノチェ、周さんより)
   







 


カフェテリア ”カビノチェ”voyagerさんからのお話です。

私はモネの絵が好きなのですが、その中でも彼が描いたノートルダム寺院の絵はお気に入りのひとつです。

画家が同じ対象を何枚も描くことはよくあるのですが、ノートルダム寺院の場合はそれぞれが別の感性で描かれており、それらをながめていると不思議と幸福な気分になれます。
NYのメトロポリタン美術館に1枚、Parisのオルセー美術館に5枚ほどありますが、その他にもあるはずなのでいつかは全部を見てみたいと思います。

さて、時計を「工業製品」とみるか「美術品」とみるかで意見は大きく分かれそうな気がします。
工業製品として大事な指標に「品質管理」があり、「規格」にいかに近づけるかが重視されます。
採算がとれるかどうか、マーケットの規模はどうかなど、どうしても「商品」の側面を無視できません。

一方で、美術品においては人をうならせることができるか、つまり「感動」をどれぐらい与えられるかがポイントになります。
もう少し突っ込むと鑑賞する人間の「こころの琴線」に触れることができるか、がポイントになります。
そのためそこでは採算や手間など無視されることがしばしばあります。
現在に伝わる美術品の多くが、かつての支配階級がパトロンとなり、その創造に気の遠くなるような労力、金額が使われたことは否定できない現実であります。

以上の区別は分析のための便宜的な極論であり、現実には、どちらにどれだけ近いかが問題となります。
また時代とともにどちらに向かっているかも大事な着眼点かと思います。

高額時計が、貴族や王侯階級が消滅しつつある現在に美術品として「感動」を与えるものでありつづけるには、やはり「新しいパトロン」が必要なのかもしれません。
それが現代の大金持なのか、一般の消費者なのかは不明ですが、趣味で彼らが時計作りをしていない以上、それを買う人間であることだけは確かです。

現在の高額時計の値段が高いか安いかは、敢えて言えば、自分の「感動」の値段であり、高額時計の未来を支えていると考えることもできるのではないでしょうか。

美術品の世界に値段があってないがごとく、美術品ともいえる高額時計に値段はあってなきがごとしと考えるのはちょっと乱暴すぎますでしょうか。
もちろん、絵には美術館での鑑賞という「お金のない人も楽しめる」方法が残っていますが、時計の場合は「身につける」という「独占」的な部分があるため、どうしても所有しなくては、感動を享受できないという反論は、価格の妥当性が問題となる有力な根拠と思います。

 



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