|
|
カフェテリア ”カビノチェ” 周さんからのお話です。
アインシュタインは、すべての真理は時間の関数であると述べている。
その瞬間、瞬間においてその真理は成り立つのであって絶対的なものではないという ことだと思われる。
しかし、時間とはいったいなんであろう・・・ 時間の概念は経験によって得られるものとは異質のように思える。
カントによると 時間と空間は、感覚によって捉えることができないもので、感覚、知覚として捉えることができない概念が存在するのは、人間の心の中に、”先なるもの”として初めから本性として存在しているものとしている。
これ自体が、本当に真理なのであろうか?
この事自体も、アインシュタインの言うように時間の関数なのであろうか?
時計に興味を覚えるようになって、時間について考えることも増えてきたが、ますます、わからないことが増えてきた。
知識を得るのは、本当に重要な事なのだろうか?
これまでたくさんの本を読んできた。
そして興味がある時計も多く集めてきた。
そしていろんな趣味も深めてきたが、それらは、所詮、知識欲であり、物欲にすぎない。
本を読む、物を集める、刹那的な高回転のムーブメントに似て、自ら考えを放棄してつき動かされるように前進していくだけなのかもしれない。
現代の生活と、昔の生活と比べて、どちらが幸せなのだろう?
なぜこんなに長時間働かなければならなくなったのだろうか?
日々、時間について考える、そして時間に追われるように瞬間的な時間を意識する。
しかし、日時計のような、そんな時間の方が、私には大事に思えるようになってきた。
夜空には、星座という星の時間もある。
そんな、ゆっくりとした時間の中で ずっと過ごせたら、これに勝る幸せはないのではないだろうか。
|